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第16回東京音楽コンクール弦楽部門本選参加記 [演奏会]

取材日:2018年8月29日(水)
アップ日:2018年9月11日(火)

 弦楽部門の本選が実施されてから、やや日にちが経ってしまいましたが、せっかく取材したので、アップします。

 8月22日(水)の第2次予選に引き続き、本選を聴いてきました。いよいよ、今日で、1位~3位が決まります。誰が入賞するかという興味の他、ヴァイオリン、ビオラの協奏曲をたっぷり聴けるというのも楽しみです。

#01、東京音楽コンクール弦楽部門本選ちらし
%01東京音コン弦楽本選ちらし.jpg


#02、東京文化会館入口
%02東京文化会館入口.jpg
当日は、曇りで風が無く、蒸し暑かったです。

#03、開場を待つ人々
%03東京音コン弦楽本選会場待ちの方々.jpg
開場直前のロビーの様子です。当日券をお求めの方も多数いらしゃり、人気の高さが伺われました。

#04、東京文化会館大ホール・開演8分前
%04東京文化会館大ホール.jpg
会場1Fは7~8割の入りでした。

#05、東京音楽コンクール弦楽部門本選進出者
ファイナリストの4名です。
%05東京音コン弦楽本選ファイナリスト.jpg
この写真は、先週、第2次予選結果発表直後の写真です。(公式写真撮影終了後に、一般聴衆者に一瞬の撮影許可が出て、撮影させて頂きました。)
右から、Vn:関朋岳(ともたか)君、Vlc:有冨萌々子(ももこ)さん、Vn:高木凛々子さん、Vn:北田千尋さん
※お詫びと訂正 前回第2次予選のブログに本写真を掲載し、各々の方を紹介したときに、北田さんと有冨さんを取り違えて紹介してしまいました。お詫びして訂正致します

#06、プログラム(前半2名)
%06東京音コン弦楽本選前半プログラム.jpg
演奏順は抽選で行われたとのことです。
前半の二人は、たまたま同じチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲二長調を選択しました。どちらの方も、音大4年生です。

#07、北田千尋(ちひろ)さんの演奏(Vn)
%07北田千尋さん.jpg
東京文化会館の公式ツイッターからの写真です。この写真は、第2次予選のときのものです。(以下のファイナリストの演奏中の写真もすべて公式ツイッターから引用したものです)
北田さんの、本選でのドレスは、ワイン色でした。
きたろうの北田さんの評価はAでした。コンクールなので、一応きたろうも、各演奏者への評価をつけますが、評価をつけるため、演奏開始1~2分は、分析的な聴き方をします。それで評価をつけてからは、通常の演奏会と同様、評価のことは忘れて、純粋に演奏を楽しみました。
 また、通常ここに各演奏者に対する、きたろうの感想・コメントを書くのですが、末尾に、総合審査委員長の小林研一郎氏の講評がありますので、割愛し、きたろうの評価点のみ記載いたします。

#08、高木凛々子(りりこ)さんの演奏(Vn)
%08高木凛々子さん.jpg
高木さんは、本選でのドレスは、鮮やかな赤色でした。
きたろうの評価はAAです。また、この時点で(暫定)「聴衆賞」としました。
演奏終了後、複数の「ブラボー」の声があがりました。彼女は、すでに、いろいろ演奏実績があり、熱心なファンがいるためと思われます。

#09、プログラム後半2名
%09東京音コン弦楽本選後半プログラム.jpg


#10、有冨萌々子(ももこ)さんの演奏(Vla)
%10有冨萌々子さん.jpg
本選でのドレスは、濃い赤色ベースに花柄模様でした。
きたろうの評価はA+です。

#11、関朋岳(ともたか)君の演奏
%11関朋岳君.jpg
評価は、冒頭1~2分でつけると言いましたが、彼の場合は、そこで評価をつけかねました。というのは、2次予選で、きたろうの評価は2位でした。その先入観で、演奏を聴いていたのですが、「待てよ」と思いました。曲が進むにつれて、各場面場面での演奏のニュアンスが微妙に弾きわけられているのに気が付きました。曲の解釈というか良く研究しているな!ということです。
きたろうの評価は、AAで、高木さんと並びました。
その後も、分析的な耳で聴き続けましたが、高木さんと優劣つけがたいまま演奏は終了しました。
以上4人の演奏が終了しました。きたろうの評価は、1位、高木さんと関君、3位、有冨さん。聴衆賞は高木さんという結果でした。

#12、終演後、聴衆賞の回収
%12東京音コン弦楽本選聴衆賞投票.jpg
聴衆賞の投票は、終演後10分で締め切られます。

#13、結果発票まで、ホワイエで待つ聴衆の方々
%13東京音コン弦楽本選発表前.jpg
結果発表は、終演50分後です。

#14、第16回東京音楽コンクール弦楽部門審査結果
%14東京音コン弦楽本選審査結果.jpg
写真のように、1位:関君、2位:高木さん、3位:有冨さん、入選:北田さん、聴衆賞:高木さんでした。きたろうの予測と正式審査結果はほぼ同じという結果でした。
※実際の結果発表は、ホール内ステージ上で行われました。
ステージ上には、演奏者、審査の先生方、主催者(東京文化会館事務局)の方々が登壇し、結果発表、表彰、優勝者コメント、審査員の講評が行われました。

#15、大谷弦楽部門審査員長講評
%15大谷康子さん講評第一次予選直後(公式ツイッターより.jpg
大谷さんからは、審査の全般的なことや、東京音楽コンクールの特徴、東京文化会館の入賞者に対する今後のフォロー・育成などについて語られました。
その中で、「今回は、皆様のレベルが高くて、嬉しい反面選考は困難であった」ということ、「若い演奏者に対して、聴衆の皆様のフォロー応援をお願いしたい」ということなどが語られました。
また、ご自身も演奏家でいらっしゃるためか、選に漏れた方に対しても「今回の結果にこだわりすぎないで是非頑張って大きく育って欲しい」と暖かい気遣いがありました。
※写真は、今回のコンテストの一次審査直後に寄せられた動画からフィックス(東京文化会館公式ホームページ)

#16、関朋岳君優勝者コメント
%16関朋岳君優勝者コメント.jpg
次に、1位入賞の関君のコメントがありました。
「本日は、長時間お聞きくださりありがとうございました。
私は、4回目の挑戦で、ようやく本選に来ることが出来、また、賞を頂く事が出来てとても光栄に思えます。様々な貴重な体験を経験させて頂きました。今後の音楽生活での励みになるとおもいます。本当に、ありがとうございました。」
(※発言内容をほぼ忠実に収録)

#17、小林研一郎総合審査委員長の講評
%17小林研一郎TV番組のインタビュー時.jpg
発言冒頭部分→省略
各演奏者に対するコメント
◆北田さん・・・立ち位置も含め、オケの中に入ってしまいました。オーケストラとの一体感というのはかもし出せますが、聴衆に訴えかけるには、前へ出て行ったり、動きを鋭くしたり、アスリートの動きも必要で、今後このようなところを注意して行ったら良いと思います。
◆有冨さん・・・弾き始めた瞬間ほとばしる音を出されたときは、私は驚きました。すごい音楽だと思いました。バルトークの真髄に迫ったと思います。この方向性をそのままで精進して行って下さい。
◆高木さん・・・すごい音でした。しなやかに舞う貴女の音はチャイコフスキーの真髄にたくさん息吹を与えました。
これからも、ますます精進なさってください。
◆関さん・・・第2次予選の時、関さんのようにバッハを弾いた方は、初めてでした。バッハを太く逞しく現出されました。
2次予選のパガニーニも良かったです。
 今日のシベリウスはとても難しいと思います。
オーケストラとの競演で、関君は、いろいろな取り組みを行い、実に絶妙な音を作り上げました。
 今後は、もっと強くしなやかにしなって鳴る音を加えて頂けたら、もう万全と思います。

どうぞ、四人の方々、まだスタートラインについたところです。これから、ひたむきに日本の文化に尽くしてください。
 日本人としての独特な音作りを世界に見せて頂きたいと思います。
皆様方、来年も再来年も、東京文化会館に、大きなお力をお貸し頂ける様お願い致します。

※小林研一郎氏の写真は、2013年1月頃のものです。
http://www.ntv.co.jp/yomikyo/images/130717/04.jpg


四つの、協奏曲を堪能し、大満足でした。
指揮:大井剛史さん及び日フィルの皆様もお疲れ様でした。

END

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第16回東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選参加記 [演奏会]

取材日、2018(平30)年8月22日(水)
投稿日、同年8月28日(火)

 恒例の、東京音楽コンクール(弦楽部門・第2次予選)へ行って来ました(先週の水曜日)。昨年、東京音楽コンクールでは、木管部門予選と本選及び弦楽部門本選に行きました。今年は、木管部門は無く金管部門ですが、金管部門は割愛し、弦楽の予選、本選に行くことにしました。
 音楽コンクールは、低料金で、たっぷりクラシックが聴けるということもありますが、若い演奏家が、日ごろの練習の成果を、大変な緊張の中で競って行くという独特な雰囲気は、一般の演奏会にはない魅力です。

#01、第16回東京音楽コンクール(弦楽部門)ちらし
$01東京音楽コンクール2018弦楽二次予選ちらし.jpg
※本チラシに掲載の演奏者は、昨年の弦楽部門第1位:荒井里桜さん(上段の写真)、第2位:三井静君(下段右)、第3位:パク・ハヤンさん(下段左)です。

#02、コンクール開催会場
$02東京文化会館P708B.jpg
一時、東京地方も、若干気温が下がりましたが、猛暑がぶりかえすなか、行って来ました。
 会場は、東京文化会館で、本写真は10時33分に撮影しましたが、この時間に東京文化会館へ来るのは年に1~2度位しかありません。東京文化会館玄関前で日光が南東から射すという画像は珍しく、新鮮な感じがします。

#03、東京文化会館小ホール案内掲示板
$03東京文化会館小ホール掲示板P710B.jpg
ご覧のとおりの開催コンサートのタイム・スケジュールと当日券販売の案内が掲示されています。

#04、東京文化会館小ホール内
$04東京文化会館小ホール内P711B.jpg
この写真は、午後の休憩終了時に撮影しましたが、8~9割の入りで、弦楽部門の人気の高さが現れていました(昨年来た、木管2次予選は、4~5割ぐらいの入りだったのに対し)。
 撮影位置の、後ろ側に、審査員席がありました。

#05、演奏&審査(1)
$05東京音コン弦楽二次予選審査経過 (1).jpg
さて、いよいよ演奏が始まりました。演奏は、1曲目は、ヴァイオリンソロでの演奏、2曲目は、ピアノ伴奏での演奏です。
 コンクールの場合はいつも、きたろうも審査員の端くれのつもりで拝聴し、僭越ながら、評価させてもらっています。その評価は、画面右側に記載しました。

最初の4名のなかで、関君は、力強く、若々しい演奏で良かったです。

#06、演奏&審査(2)
$06東京音コン弦楽二次予選審査経過 (2).jpg
演奏順、5番から7番の方です。
6番高木さんは、ダイナミックな部分繊細な部分の表情が的確に表現され、演奏にドラマ性が感じられました。

#07、演奏&審査(3)
$07東京音コン弦楽二次予選審査経過 (3).jpg
演奏順8番から10番の方です。
演奏順、8番の大倉さんは、1曲目どうかな思いましたが、2曲目がとても良かったので評価Aにしました。
8番のチェロ、10番のコントラバスは、ヴァイオリン(ヴィオラ)の方に対しどう評価すべきか戸惑いを感じ、評価しませんでした。

#08、弦楽部門第2次予選きたろうの審査結果
$08東京音コン弦楽二次予選審査経過(4).jpg
本選出場者は、4名ですが、4名を明確に絞れず、当選者3名、当落線上2名を選びました。
その結果は、左のとおりですが、きたろうの評価は概ね的中しました。
大倉さんは良かったと思ったのですが、残念ながら選に漏れてしまいました。
※下半分ドレスのメモ
凝ったデザインのドレスの方のもののみメモしました。

#09、東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選審査結果
$09東京音コン弦楽部門二次予選結果P722.jpg
大谷康子弦楽部門審査員長から発表&講評がありました。
 大谷さんのコメントで、「みなさん、レベルが高くて、その差は僅かでした。選に漏れた方も、決して悲観しないで、今後共はげんでください。本選進出が決まった方は、オケとの演奏では、思う存分個性を発揮してください。また、オケとのリハーサルを楽しんで、本番に臨んでください。期待しています。」とのことでした。

#10、本選出場者記念撮影
$10東京音コン弦楽二次予選通過者P720C.jpg
主催者側の公式記念撮影のあと、一般聴衆へ写真撮影の一瞬の機会提供があり、撮影させて頂きました。

右から、関朋岳(ともたけ)君(Vn)、有富萌々子(ありとみももこ)さん(ヴィオラ)、高木凛々子(りりこ)さん(Vn)、北田千尋(ちひろ)さん(Vn)
※お詫びと訂正 当初、本ブログをアップしたとき、北田さんと有冨さんを取り違えて紹介してしまいました。今回、上記のように訂正致しました

#11、参考情報等(ちらし裏面)
$11東京音コン弦楽部門審査方法概要.jpg


#12、審査員の先生方
$12東京音コン弦楽部門審査員.jpg
弦楽部門審査員長は、大谷康子さん
総合審査員長は小林研一郎さん

#13、14、プログラム表紙
$13B東京音コン二次予選本選プログラム (1)B表紙上半分.jpg

$14東京音コン二次予選本選プログラム (1)C下半分.jpg

#15、賞金、入賞者特典(ちらし裏面)
$15東京音コンちらし (2)B.jpg
本選は、今回選ばれた、4名の方が、オケと共演します。明日の8月29日(水)(18時開演)に行われます。
2次予選で、きたろうの審査では、#07のとおりの結果で、「本選でも、きたろうの評価のままで行くのか(1位高木さん?2位関君?)それとも逆転があるのか?」というところが、聴き所になります。

END
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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」( 夏46景)(その3)(完) [広重・名所江戸百景]

 名所江戸百景「鎧の渡し小網町」で広重の描いた視点と同視点から見た景色を写真に収めるというのが、本シリーズのテーマです。前回から、若干間が空いてしまったので、その1、その2を振り返って見ます。

#10、名所江戸百景「鎧の渡し小網町」広重の視点の解析
$10鎧の渡し広重の視点の解析完.jpg
#10の中央の絵及び右側の写真(ストリートビュー)はどちらも、小網町側から旧松平家の屋敷、または現東京証券取引所方向を見たものです。
 結局、この絵と写真の解析で、広重は、松平家の東の石垣の外、日本橋川・川岸の百本杭のところから描いたという結論に達しました。ただ、実際にこの場所に舟を浮かべて描いたというより、広重の得意とする、ありえない場所から想像で書いたものと思われます。

#11、広重の視点の解析(やや上流からの画像)
$11鎧の渡し広重の視点の検証5.jpg
広重の視点の解析で、#10に対し、やや上流から且つ、やや拡大した画像上に、桟橋に立つ女性と広重を合成した画像を作ってみました。
 きたろうが、この場所から写真を撮るということは、舟をチャーターしなければならず、きたろうには負担が大きすぎるので断念しました。と、ここで終わってしまったのでは、もやもや感が残るので、すでに登場していますが、Googleのストリートビューを利用し、現代版「鎧の渡し小網町」の視点を再現して見ました。

#12、「鎧の渡し小網町」広重の視点の再現
$12鎧の渡し小網町広重の視点ストリートビューで再現.jpg
この写真で、丁度、橋の欄干が水面で反射し虚像を作っているところ辺りが、旧鎧の渡しの舟の航路になっていると思われます。
 本シリーズでの広重の視点の再現を、きたろうの実写写真で再現するというのがモットーですが、今回は、ストリートビューの利用を余儀なくされました。
ここで、余興的に、広重の描いた、桟橋に立つ女性を、この写真の中に登場させて見ました。

#13、現代版鎧の渡し小網町
$13鎧の渡し現代と江戸融合(完).jpg
ありえない景色の再現ですが、意外と違和感を感じませんでした。
 今回は、登場した女性も川の景色も、きたろうの実写ではありませんでしたが、次回は、何とか実写で、広重の視点での画像を再現したいと思っています。

END


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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その2) [広重・名所江戸百景]

取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月19日(土)

その1では、「鎧の渡し小網町」を描いた広重の視点について疑問が沸いたと言う所で終了しましたが、それの続きです。
この#07の絵以外に、鎧の渡しを描いた絵がないか探したところ、なんと広重は40歳代に、「江戸百景・よろいの渡し」という絵を描いていることが分かりました。

#08、広重画「江戸百景・よろいの渡し」(1840年頃)
#08鎧の渡し広重の視点の検証2.jpg
この絵は、鎧の渡しを小網町側から、茅場町の桟橋方向を描いたものです。この絵を見ると、松平の屋敷の東の角のすぐ下流のところに桟橋があった様子がよく分かります。また、この絵の中で名所江戸百景の鎧の渡し小網町を描いた広重の視点及び視線を作図すると、赤の矢印のように推定されます。即ち、広重は、屋敷の石垣の護岸のための百本杭の辺りの川の中から描いたということになります。
この、#08の絵を写真で再現出来ないものか?ということで、Google Mapのストリートビューを探したところ、この地点を日本橋川を航行する船からのストリートビューがありました。

#09、鎧の渡しの茅場町側桟橋跡(ストリートビュー)
#09鎧の渡し広重の視点の解析.jpg
#02の地図及び#08の絵と#09ストリートビューの良く見比べると、当時の松平の屋敷と桟橋と日本橋川の関係は、その名残を今でも日本橋川の護岸のコンクリートの壁の形状に残しているのがわかります。
さて、「鎧の渡し小網町」の広重のありえない視点ですが、これは、広重では、特に珍しいことではありません。名所江戸百景の中には、高度10数mから数百mからの俯瞰で描かれたものが多数あります。広重は、ありえない位置から見た風景を描くのは、大変得意な画家で、恐らく、「鎧の渡し小網町」の、整列した倉庫群、日本橋川を行きかう舟、桟橋にたたずむ町娘を一枚の絵にしたとき、もっとも美しく描ける構図のために、どこから描くかとなったときの視点は、たまたま百本杭の前だったということと推定されます。
(その3に続く)
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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その1) [広重・名所江戸百景]

取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月16日(木)

「鎧の渡し小網町」を取材した日は、近くにある、東京証券会館で行われる邦楽のコンクールを聞きに行くのを目的にしていました。そして、広重の「名所江戸百景・鎧の渡し小網町」のことは、家を出るときは全く念頭にありませんでした。しかし、会場近くに差し掛かったとき、この辺が、鎧の渡し小網町の舞台であるのを思い出し、急遽、邦楽コンクールの中学生の部の鑑賞を取りやめ、名所江戸百景の取材をすることにしました。
そんな訳で、デジカメも持っていなかったので、スマホで写真を撮ってきました。

#01、広重「名所江戸百景・鎧の渡し小網町(夏46景)」
#01広重鎧の渡し小網町夏46景.jpg
この絵は、1857年広重最晩年61歳のときに画かれました。前年(1856)には、ハリスが来航、また、翌年(1858)から安政の大獄が始まるという、激動の時代の幕開け的な時代背景の下で画かれたものです。
この絵は、夏の「鎧の渡し」を描いたものです。画面には、日本橋川を行きかう荷を満載にした複数の小舟、対岸小網町の倉庫群、空を舞う4羽の燕、桟橋で舟を待つ町娘等が書き込まれています。

#02、鎧橋(鎧の渡し)付近の今昔(地図対比)
#02鎧橋付近の今昔.jpg
この辺りは、 武家屋敷、下級武士の組屋敷、各種問屋の蔵などが混在していた地域で、日本橋川の水運に根ざした商業が盛んなところでし
#03、鎧の渡し小網町の今昔比較(画像対比)
#03鎧の渡し小網町今昔対比.jpg
さて、鎧の渡し小網町の絵の現代版写真の撮影ですが、広重の絵は、兜町から鎧の渡しをはさんで対岸の小網町の倉庫群を、上流から下流方向に斜めに描いたものです。
当日、鎧橋から上流方向及び下流方向数枚の写真を撮影し、この絵に一番合致するものを、#03の右側に示しました。
この写真の、撮影ポイントは#02の地図の③で撮影方向は南東(黄矢印)方向です。
※お詫び&訂正、前回8月16日アップ時、#02の地図に③の記載が漏れていました。今回(8月19日)③を記載したものを掲載し直しました。
(蛇足ですが、スマホの画質は、コンパクトデジカメの画質と同等またはそれ以上の画質を持っていました)

#03の、今昔対比で、メインの鎧の渡しは、鎧橋に変りました。橋の欄干の一部が画面左下に見えています。
対岸の、倉庫群は、現在では、花王グループの関連企業の建物に変っています。写真、画面奥の緑色の橋桁の橋は、茅場橋です。
残念ながら、燕及び町娘の姿は見当たりませんでした。

#04、鎧橋南詰めから鎧橋を望む
#04鎧橋南詰めから鎧橋を望む13時39分.jpg
鎧橋南詰め(西側)に、中央区教育委員会の史跡表示板があります。

#05、「鎧の渡し」史跡表示板
#05鎧の渡し表示板13時40分.jpg
ここには、鎧の渡しの歴史的なことが書かれています。
その文をそっくり下記に示します。

  鎧の渡し跡

所在地中央区日本橋小網町八・九番
日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番

 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。

 伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一○四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。

 この渡しは、明治五年{一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。        

                     
 縁日に           
   買うてぞ帰る         
     おもだかも        
 逆さにうつる          
   鎧のわたし          
        和朝亭国盛      

 平成二十年三月     中央区教育委員会

******************

また、この表示板に、「江戸名所図会・鎧の渡し」も掲載されています。これを、拡大したものを次に示しました。

#06、江戸名所図会・鎧の渡し
#06鎧の渡し江戸名所図会13時40分.jpg
この絵は、広重の絵と同様、兜町(茅場町)側から、対岸小網町を描いたものです。広重の絵は例えば倉庫群など様式的に描かれているのに対し、江戸名所図絵では、蔵の屋号も描かれているいる等写実的といえます。

さて、ここで、鎧の渡しを描いた広重の視点を考えて見ました。


まず、#06江戸名所図会の絵で、桟橋のヘリに広重の絵と同様に町娘に立ってもらい、それを斜め後方から描けば、広重の鎧の渡しの絵と同様な絵が描けるはずです。
(#07参照)

#07、鎧の渡し広重の視点の検証(1)
#07鎧の渡し広重の視点の検証1.jpg
広重の絵では、広重の視点と町娘は、概ね5~6mははなれているように見えます。
ところが、#07の絵では、桟橋の幅は2mにも満たないような狭い桟橋で、はたして、広重はどこから町娘及び鎧の渡しを描いたのだろうという疑問が沸きます。
(その2に続く)

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オーボイスト Vol.4 荒絵理子さんリサイタル(新宿 ドルチェ楽器)2018/07/28(土)2:00pm開演 [演奏会]

わが町のクラシック会の輝けるスター、東京交響楽団の主席オーボエ奏者荒絵理子さんが、新宿でリサイタルを行うとのことで行って来ました。
取材日:2018年7月28日(土)2時pm開演、於アーティストサロン・ドルチェ(新宿) アップ日:同年8月4日(土) (※青太字→8月7日追記

#01、「オーボイストVol.4、荒絵理子」ちらし
$01荒上野ドルチェちらし.jpg
本リサイタルは、ドルチェ楽器主催の「オーボイストVol.4」という演奏会で、本リサイタルで演奏したオーボエ奏者が次の演奏者を指名して行くというリレー式の演奏会とのこと。
共演は、フルート:上野由恵(よしえ)さん、ピアノ:遠藤直子さん

#02、演奏会場、本ビル8階・ドルチェ楽器店内のホール
$02荒上野ドルチェ01.jpg
会場は、本ビルの8階、楽器店内のホールです。このビルは丁度新宿郵便局の向かいにあります。
台風12号が接近中とのことですが、このときはまだ風がやや強いかなといった程度でした。

#03、楽器店内、ホールの案内表示
$03荒上野ドルチェ04B2.jpg


#04、05、06、開演1分前の会場
$04荒上野1400.jpg

$05荒上野1400.jpg

$06荒上野1401.jpg
100名程の小ホールですが、くせのない響きのホールです。
(開演1分前、ほぼ満席でした。)

#07、演奏プログラム
$07荒上野プログラム00.jpg


#08、荒さんトーク
$08荒上野ドルチェ13B.jpg
今日は、イタリアの作曲家の曲(&イタリア的な曲)を吹こうということで、プログラムを構成しました。
当初、ピアノとオーボエだけで曲を探しましたが、該当する曲が少なく、急遽、フルートを編成に入れることにより、演奏曲が広がりました。
右:荒絵理子さん、左:上野由恵さん

#09、10、三人の熱演
$09荒上野ドルチェ13C(09B).jpg

$10荒上野180728_153246_1.jpg
オーボエとフルートは音域もほぼ同じで主旋律を吹く楽器のためか、オーボエ+フルート(+ピアノ)のアンサンブルは、きたろう自身もここ10年で1度位聞いたことがあるかなという程度です。
ただ、オーボエとフルートの音色は、一方が温かい郷愁のある音色で、フルートは、透明感があり、クリスタル的な音色と全く異なるため、変な競合が無く、良いバランスで響いていました。この、お二人は、東京六人組(木五+ピアノ)というアンサンブルの同メンバーで良く共演されており、息もぴったりでした。ピアノの方は、繊細な部分、ダイナミックな部分、リズミカルな部分と部分部分の各表情がはっきり、メリハリがある演奏で良かったです。(お姿が半分切れてしまいゴメンナサイ)
(8月6日追記・・・アンコール曲、曲名分かりました。「カッチーノのアベマリア」でした。)
#11、12、記念撮影
$11荒上野ドルチェ15.jpg

$12荒上野1602.jpg
素敵な笑顔です!!
素晴らしい演奏ありがとうございました(*^_^*)
左から、フルート:上野由恵さん(日本音楽コンクール1位)
、オーボエ:荒絵理子さん(東京交響楽団主席、日本音楽コンクール1位)、ピアノ:遠藤直子さん(ドルチェ東京ミュージックアカデミーピアニスト)

#13、サインを完全ゲット
$13荒上野プログラム0.jpg
全員からサインを頂きました。
サインもありがとうございました(*^_^*)

END





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ブラタモリトレース・二子玉川(その4・最終回)  [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同8月2日(木)アップ

また、ちょっと間が空いてしまいましたが、ブラタモリトレース・二子玉川を続けます。今回の、訪問場所は、番組では、後ろから2番目の「あるお蕎麦屋さん」ですが、本散歩会(ブラタモリトレース)では最後となります。(番組の最後の訪問場所の行善寺は、本ブラタモリトレースでは割愛しました。)

#01、大勝庵(蕎麦屋)を訪問するタモリさん一行

&01あるそば屋へ案内する向谷さんP930A.jpg
向谷さんの案内で、タモリさん一行は大勝庵にやって来ました。

#02、ブラタモリトレース行程地図

&02二子玉川散歩実績ブログ4用.jpg
前回は、番組上もブラタモリトレース(散歩会)も、地図の地点Hで終了しました、今回は、地点Iへ歩を進めました。

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ブラタモリトレース・二子玉川(その3)  [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同7月20日(金)アップ

ブラタモリトレース・二子玉川は、広重の名所江戸百景シリーズ(市中繁栄七夕祭)で中断しましたが、再開します。

#01、玉川駅の北東(地点E付近)にて(次掲地図参照)
&01二子玉川駅のそばにてP879R.jpg
久保田アナ:「玉川駅の近くに戻って来ましたが、ここでは何を?」
向谷さん:電車(旧玉電)が発車するときの擬音「みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・・」
久保田アナ:「ハハハハハ・・・、結構苦しい感じの音ですね」
向谷さん:「ここ昔、路面電車が走っていた(んです。)」
(音声ファイル1も参照してください)

%音声ファイル01、玉電の歴史等(写真#01~#04に対応する音声)

地図、ブラタモリトレース(二子玉川)
%00二子玉川散歩実績ブログ3・4用.png


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第25回(下)、広重・名所江戸百景「市中繁栄七夕祭」(秋73景)その2 [広重・名所江戸百景]

今回は、前回「広重名所江戸百景・市中繁栄七夕祭(その1)」の補足的な記事です。

#00、名所江戸百景・市中繁栄七夕祭(広重画)
%00広重市中繁栄七夕祭ブログ用圧縮.jpg
「市中繁栄七夕祭」は、京橋の広重の住居から、富士山を画面の中心において七夕祭り時の江戸の家並みを描いたものです。この絵の、現代版の写真での再現は、京橋の広重住居跡から、富士山を撮影することは困難でずっとあきらめていました。
前回の市中繁栄七夕祭は、銀座シックスからの眺望を、広重住居跡からの眺望の代替地として(注)、現代版「市中繁栄七夕祭」にしようと試みたものです。

注)現代版「名所江戸百景」の再現は、広重と全く同じ視点では不可能なケースが多々あります。その場合は、広重の実際の視点の近辺で、似たような代替地での再現を本シリーズでは行っています。ちなみに、市中繁栄七夕祭の広重の実際の視点と、代替地銀座シックスは、約1.2km離れていますが、両者の町並みの感じは、江戸時代も現在も良く似ていると考えられます。

◆市中繁栄七夕祭の視点
市中繁栄七夕祭は、広重の住居の2階(または物干し台)から見た、江戸の町並みとはるか遠くにある富士山を描いたものです。
当時、江戸のほとんどのところから、富士山は見えました。富士山を、自宅から眺めるため、自宅に物干し台を作ることが、一寸裕福な家の間で流行しました。

#01、広重の住居付近の切絵図
%01広重住居近辺切絵図(現在の交差点名入り)B.jpg
◆切絵図に画かれた広重の住居
 広重は、53歳から62歳で亡くなるまで、京橋の大鋸町というところに住んでいました。(1849~1858)(注)
最晩年の61歳(1857)のとき、市中繁栄七夕祭を描きました。
#01の切絵図に広重の住居が明示されています。御用絵師「狩野永徳」の屋敷の隣に住居を構えていました。
切絵図では、武家屋敷や神社仏閣については、その名前を明示していますが、一介の町絵師である、広重の住居が切絵図に明示されるということは、異例のことで、当時、広重の人気がいかに高かったかを物語っています。
注)この切絵図は、1863年版で、広重は既に亡くなっています。恐らく、二代目広重がそのまま住居を引き継いだものと思われます。
注)広重晩年の時代背景
広重が、京橋に住んでいた頃の日本は、1853年にペリーが来航し、広重が亡くなって2年後の1860には、「桜田門外の変」がおこるという、日本が激動に向いつつある正にその頃でした(名所江戸百景ではそのような雰囲気は全く見受けられないが・・・)

#02、広重住居跡周辺の地図(現在)
%02京橋YAHOO!地図B.jpg
切絵図に示された、広重の住居は、現在で言うと、中央区京橋一丁目9番地に相当します。
銀座シックスでの撮影後、この、広重住居跡を訪れました。そこは、現在工事中でした。「全国信用協同組合連合会新本部」のビルが建つとのことでした。

#03、広重住居跡・工事中1
%03広重住居跡①P013D.jpg


#04、広重住居跡・工事中2
%04広重住居跡②P016C.jpg
※画面中央の茶色の張り紙のようなものに注目

#05、広重住居跡表示板1(コピー=紙)
%05広重住居跡③P017B.jpg
その張り紙は、以前ここにあった、中央区教育委員会の「広重住居跡」を示す金属製の表示板のコピーでした。

#06、広重住居跡表示板2(金属製)
%06広重住居跡④P734C.jpg
以前(2014/5/6)撮影した中央区教育委員会の「広重住居跡」の表示板(金属製)。
 ここに、広重住居跡の表示板のコピーが貼ってあるということは、ここのビルが完成した暁には、また、広重住居跡の表示板が復活するということで理解しました。

#07、広重住居跡(過去の写真)
%07広重住居跡⑤P735B.jpg
広重住居跡の全体的な写真を、自身では撮影していなかったので、ネット上で探したところ、この写真が見つかったので、転載します。
過去のこのビルには、東証コンピューターシステムの総務部などが入っていました。

#08、広重住居跡から南南西方向を望む
%08広重住居跡から南南西方向の眺望P021B.jpg
参考まで、広重住居跡の前の道路から、道路の延長線方向(南南西)を撮影しました。地図#02に示したように、富士山の方向は「青矢印」の方向で、道路は赤矢印方向に伸びているので、ここから富士山を撮影するのは、ドローンでも使わない限り、不可能でした。

#09、宝町歩道橋から南南西方向を望む(昭和通)
%09宝町歩道橋からの眺望P023C.jpg
同様に、広重住居跡の近辺で、少しでも高いところから撮影して見ようということで、宝町歩道橋の上から南南西方向を撮影しましたが、やはりここから富士山が見える可能性はほぼゼロでした。
 このようなことで、広重住居跡から市中繁栄七夕祭の現代版の写真の撮影は諦め、銀座シックスからの写真で代用しようと目論んでいます。
END



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第25回(上)、広重・名所江戸百景「市中繁栄七夕祭」(秋73景)その1 [広重・名所江戸百景]

2018年7月4日(水)取材
同7月8日アップ
題名改定:同7月13日(題名に(上)、(その1)を追加した)

ブラタモリトレース・二子玉川シリーズの途中ですが、急遽、七夕に関するブログをアップします。
 現在、12時を回ってしまいましたが、7月7日は七夕祭でした。
江戸時代にも、七夕祭りは行われ、約160年前、歌川広重も、「名所江戸百景」シリーズの中で、「市中繁栄七夕祭」を画いています(#01画面左)。この絵は、広重の住居の物干し台からの眺めを画いたとのこと。
 さて、例によって、広重と同一視点から写真を撮り、広重の絵と、現在の写真を比較するという試みをしました。

#01、広重画・市中繁栄七夕祭と銀座シックスから富士山方向の眺望
#01広重市中繁栄七夕祭新旧比較.jpg
広重の住居は、東京都中央区京橋1-9ということが判っています。
ところが、この近辺から、富士山を撮影することは困難で、この近辺で、一般人が、立ち入れる高い場所を探しました。銀座シックスの屋上が一般開放されているということで、あらかじめ撮影して来ました(7月4日)。
残念ながら、この日は、富士山は見えませんでした(#01画面右、但し、この写真の富士山は作図です)。
この、写真は、銀座シックス屋上の新橋寄りのところから、西南西方向を撮影したものです。

#02、銀座シックス屋上から南西方向の眺望
#02P1210002C.jpg
※青矢印のところに、富士山が見えるはずである。

銀座シックスから富士山の撮影は、大気がクリアーなときに、再度試みたいと思います。
END



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