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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その1) [広重・名所江戸百景]

取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月16日(木)

「鎧の渡し小網町」を取材した日は、近くにある、東京証券会館で行われる邦楽のコンクールを聞きに行くのを目的にしていました。そして、広重の「名所江戸百景・鎧の渡し小網町」のことは、家を出るときは全く念頭にありませんでした。しかし、会場近くに差し掛かったとき、この辺が、鎧の渡し小網町の舞台であるのを思い出し、急遽、邦楽コンクールの中学生の部の鑑賞を取りやめ、名所江戸百景の取材をすることにしました。
そんな訳で、デジカメも持っていなかったので、スマホで写真を撮ってきました。

#01、広重「名所江戸百景・鎧の渡し小網町(夏46景)」
#01広重鎧の渡し小網町夏46景.jpg
この絵は、1857年広重最晩年61歳のときに画かれました。前年(1856)には、ハリスが来航、また、翌年(1858)から安政の大獄が始まるという、激動の時代の幕開け的な時代背景の下で画かれたものです。
この絵は、夏の「鎧の渡し」を描いたものです。画面には、日本橋川を行きかう荷を満載にした複数の小舟、対岸小網町の倉庫群、空を舞う4羽の燕、桟橋で舟を待つ町娘等が書き込まれています。

#02、鎧橋(鎧の渡し)付近の今昔(地図対比)
#02鎧橋付近の今昔.jpg
この辺りは、 武家屋敷、下級武士の組屋敷、各種問屋の蔵などが混在していた地域で、日本橋川の水運に根ざした商業が盛んなところでした。

#03、鎧の渡し小網町の今昔比較(画像対比)
#03鎧の渡し小網町今昔対比.jpg
さて、鎧の渡し小網町の絵の現代版写真の撮影ですが、広重の絵は、兜町から鎧の渡しをはさんで対岸の小網町の倉庫群を、上流から下流方向に斜めに描いたものです。
当日、鎧橋から上流方向及び下流方向数枚の写真を撮影し、この絵に一番合致するものを、#03の右側に示しました。
この写真の、撮影ポイントは#02の地図の③で撮影方向は南東(黄矢印)方向です。(蛇足ですが、スマホの画質は、コンパクトデジカメの画質と同等またはそれ以上の画質を持っていました)

#03の、今昔対比で、メインの鎧の渡しは、鎧橋に変りました。橋の欄干の一部が画面左下に見えています。
対岸の、倉庫群は、現在では、花王グループの関連企業の建物に変っています。写真、画面奥の緑色の橋桁の橋は、茅場橋です。
残念ながら、燕及び町娘の姿は見当たりませんでした。

#04、鎧橋南詰めから鎧橋を望む
#04鎧橋南詰めから鎧橋を望む13時39分.jpg
鎧橋南詰め(西側)に、中央区教育委員会の史跡表示板があります。

#05、「鎧の渡し」史跡表示板
#05鎧の渡し表示板13時40分.jpg
ここには、鎧の渡しの歴史的なことが書かれています。
その文をそっくり下記に示します。

  鎧の渡し跡

所在地中央区日本橋小網町八・九番
日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番

 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。

 伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一○四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。

 この渡しは、明治五年{一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。        

                     
 縁日に           
   買うてぞ帰る         
     おもだかも        
 逆さにうつる          
   鎧のわたし          
        和朝亭国盛      

 平成二十年三月     中央区教育委員会

******************

また、この表示板に、「江戸名所図会・鎧の渡し」も掲載されています。これを、拡大したものを次に示しました。

#06、江戸名所図会・鎧の渡し
#06鎧の渡し江戸名所図会13時40分.jpg
この絵は、広重の絵と同様、兜町(茅場町)側から、対岸小網町を描いたものです。広重の絵は例えば倉庫群など様式的に描かれているのに対し、江戸名所図絵では、蔵の屋号も描かれているいる等写実的といえます。

さて、ここで、鎧の渡しを描いた広重の視点を考えて見ました。


まず、#06江戸名所図会の絵で、桟橋のヘリに広重の絵と同様に町娘に立ってもらい、それを斜め後方から描けば、広重の鎧の渡しの絵と同様な絵が描けるはずです。
(#07参照)

#07、鎧の渡し広重の視点の検証(1)
#07鎧の渡し広重の視点の検証1.jpg
広重の絵では、広重の視点と町娘は、概ね5~6mははなれているように見えます。
ところが、#07の絵では、桟橋の幅は2mにも満たないような狭い桟橋で、はたして、広重はどこから町娘及び鎧の渡しを描いたのだろうという疑問が沸きます。
(その2に続く)

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オーボイスト Vol.4 荒絵理子さんリサイタル(新宿 ドルチェ楽器)2018/07/28(土)2:00pm開演 [演奏会]

わが町のクラシック会の輝けるスター、東京交響楽団の主席オーボエ奏者荒絵理子さんが、新宿でリサイタルを行うとのことで行って来ました。
取材日:2018年7月28日(土)2時pm開演、於アーティストサロン・ドルチェ(新宿) アップ日:同年8月4日(土) (※青太字→8月7日追記

#01、「オーボイストVol.4、荒絵理子」ちらし
$01荒上野ドルチェちらし.jpg
本リサイタルは、ドルチェ楽器主催の「オーボイストVol.4」という演奏会で、本リサイタルで演奏したオーボエ奏者が次の演奏者を指名して行くというリレー式の演奏会とのこと。
共演は、フルート:上野由恵(よしえ)さん、ピアノ:遠藤直子さん

#02、演奏会場、本ビル8階・ドルチェ楽器店内のホール
$02荒上野ドルチェ01.jpg
会場は、本ビルの8階、楽器店内のホールです。このビルは丁度新宿郵便局の向かいにあります。
台風12号が接近中とのことですが、このときはまだ風がやや強いかなといった程度でした。

#03、楽器店内、ホールの案内表示
$03荒上野ドルチェ04B2.jpg


#04、05、06、開演1分前の会場
$04荒上野1400.jpg

$05荒上野1400.jpg

$06荒上野1401.jpg
100名程の小ホールですが、くせのない響きのホールです。
(開演1分前、ほぼ満席でした。)

#07、演奏プログラム
$07荒上野プログラム00.jpg


#08、荒さんトーク
$08荒上野ドルチェ13B.jpg
今日は、イタリアの作曲家の曲(&イタリア的な曲)を吹こうということで、プログラムを構成しました。
当初、ピアノとオーボエだけで曲を探しましたが、該当する曲が少なく、急遽、フルートを編成に入れることにより、演奏曲が広がりました。
右:荒絵理子さん、左:上野由恵さん

#09、10、三人の熱演
$09荒上野ドルチェ13C(09B).jpg

$10荒上野180728_153246_1.jpg
オーボエとフルートは音域もほぼ同じで主旋律を吹く楽器のためか、オーボエ+フルート(+ピアノ)のアンサンブルは、きたろう自身もここ10年で1度位聞いたことがあるかなという程度です。
ただ、オーボエとフルートの音色は、一方が温かい郷愁のある音色で、フルートは、透明感があり、クリスタル的な音色と全く異なるため、変な競合が無く、良いバランスで響いていました。この、お二人は、東京六人組(木五+ピアノ)というアンサンブルの同メンバーで良く共演されており、息もぴったりでした。ピアノの方は、繊細な部分、ダイナミックな部分、リズミカルな部分と部分部分の各表情がはっきり、メリハリがある演奏で良かったです。(お姿が半分切れてしまいゴメンナサイ)
(8月6日追記・・・アンコール曲、曲名分かりました。「カッチーノのアベマリア」でした。)
#11、12、記念撮影
$11荒上野ドルチェ15.jpg

$12荒上野1602.jpg
素敵な笑顔です!!
素晴らしい演奏ありがとうございました(*^_^*)
左から、フルート:上野由恵さん(日本音楽コンクール1位)
、オーボエ:荒絵理子さん(東京交響楽団主席、日本音楽コンクール1位)、ピアノ:遠藤直子さん(ドルチェ東京ミュージックアカデミーピアニスト)

#13、サインを完全ゲット
$13荒上野プログラム0.jpg
全員からサインを頂きました。
サインもありがとうございました(*^_^*)

END





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ブラタモリトレース・二子玉川(その4・最終回)  [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同8月2日(木)アップ

また、ちょっと間が空いてしまいましたが、ブラタモリトレース・二子玉川を続けます。今回の、訪問場所は、番組では、後ろから2番目の「あるお蕎麦屋さん」ですが、本散歩会(ブラタモリトレース)では最後となります。(番組の最後の訪問場所の行善寺は、本ブラタモリトレースでは割愛しました。)

#01、大勝庵(蕎麦屋)を訪問するタモリさん一行

&01あるそば屋へ案内する向谷さんP930A.jpg
向谷さんの案内で、タモリさん一行は大勝庵にやって来ました。

#02、ブラタモリトレース行程地図

&02二子玉川散歩実績ブログ4用.jpg
前回は、番組上もブラタモリトレース(散歩会)も、地図の地点Hで終了しました、今回は、地点Iへ歩を進めました。

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ブラタモリトレース・二子玉川(その3)  [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同7月20日(金)アップ

ブラタモリトレース・二子玉川は、広重の名所江戸百景シリーズ(市中繁栄七夕祭)で中断しましたが、再開します。

#01、玉川駅の北東(地点E付近)にて(次掲地図参照)
&01二子玉川駅のそばにてP879R.jpg
久保田アナ:「玉川駅の近くに戻って来ましたが、ここでは何を?」
向谷さん:電車(旧玉電)が発車するときの擬音「みょんみょんみょんみょんみょんみょん・・・・」
久保田アナ:「ハハハハハ・・・、結構苦しい感じの音ですね」
向谷さん:「ここ昔、路面電車が走っていた(んです。)」
(音声ファイル1も参照してください)

%音声ファイル01、玉電の歴史等(写真#01~#04に対応する音声)

地図、ブラタモリトレース(二子玉川)
%00二子玉川散歩実績ブログ3・4用.png


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第25回(下)、広重・名所江戸百景「市中繁栄七夕祭」(秋73景)その2 [広重・名所江戸百景]

今回は、前回「広重名所江戸百景・市中繁栄七夕祭(その1)」の補足的な記事です。

#00、名所江戸百景・市中繁栄七夕祭(広重画)
%00広重市中繁栄七夕祭ブログ用圧縮.jpg
「市中繁栄七夕祭」は、京橋の広重の住居から、富士山を画面の中心において七夕祭り時の江戸の家並みを描いたものです。この絵の、現代版の写真での再現は、京橋の広重住居跡から、富士山を撮影することは困難でずっとあきらめていました。
前回の市中繁栄七夕祭は、銀座シックスからの眺望を、広重住居跡からの眺望の代替地として(注)、現代版「市中繁栄七夕祭」にしようと試みたものです。

注)現代版「名所江戸百景」の再現は、広重と全く同じ視点では不可能なケースが多々あります。その場合は、広重の実際の視点の近辺で、似たような代替地での再現を本シリーズでは行っています。ちなみに、市中繁栄七夕祭の広重の実際の視点と、代替地銀座シックスは、約1.2km離れていますが、両者の町並みの感じは、江戸時代も現在も良く似ていると考えられます。

◆市中繁栄七夕祭の視点
市中繁栄七夕祭は、広重の住居の2階(または物干し台)から見た、江戸の町並みとはるか遠くにある富士山を描いたものです。
当時、江戸のほとんどのところから、富士山は見えました。富士山を、自宅から眺めるため、自宅に物干し台を作ることが、一寸裕福な家の間で流行しました。

#01、広重の住居付近の切絵図
%01広重住居近辺切絵図(現在の交差点名入り)B.jpg
◆切絵図に画かれた広重の住居
 広重は、53歳から62歳で亡くなるまで、京橋の大鋸町というところに住んでいました。(1849~1858)(注)
最晩年の61歳(1857)のとき、市中繁栄七夕祭を描きました。
#01の切絵図に広重の住居が明示されています。御用絵師「狩野永徳」の屋敷の隣に住居を構えていました。
切絵図では、武家屋敷や神社仏閣については、その名前を明示していますが、一介の町絵師である、広重の住居が切絵図に明示されるということは、異例のことで、当時、広重の人気がいかに高かったかを物語っています。
注)この切絵図は、1863年版で、広重は既に亡くなっています。恐らく、二代目広重がそのまま住居を引き継いだものと思われます。
注)広重晩年の時代背景
広重が、京橋に住んでいた頃の日本は、1853年にペリーが来航し、広重が亡くなって2年後の1860には、「桜田門外の変」がおこるという、日本が激動に向いつつある正にその頃でした(名所江戸百景ではそのような雰囲気は全く見受けられないが・・・)

#02、広重住居跡周辺の地図(現在)
%02京橋YAHOO!地図B.jpg
切絵図に示された、広重の住居は、現在で言うと、中央区京橋一丁目9番地に相当します。
銀座シックスでの撮影後、この、広重住居跡を訪れました。そこは、現在工事中でした。「全国信用協同組合連合会新本部」のビルが建つとのことでした。

#03、広重住居跡・工事中1
%03広重住居跡①P013D.jpg


#04、広重住居跡・工事中2
%04広重住居跡②P016C.jpg
※画面中央の茶色の張り紙のようなものに注目

#05、広重住居跡表示板1(コピー=紙)
%05広重住居跡③P017B.jpg
その張り紙は、以前ここにあった、中央区教育委員会の「広重住居跡」を示す金属製の表示板のコピーでした。

#06、広重住居跡表示板2(金属製)
%06広重住居跡④P734C.jpg
以前(2014/5/6)撮影した中央区教育委員会の「広重住居跡」の表示板(金属製)。
 ここに、広重住居跡の表示板のコピーが貼ってあるということは、ここのビルが完成した暁には、また、広重住居跡の表示板が復活するということで理解しました。

#07、広重住居跡(過去の写真)
%07広重住居跡⑤P735B.jpg
広重住居跡の全体的な写真を、自身では撮影していなかったので、ネット上で探したところ、この写真が見つかったので、転載します。
過去のこのビルには、東証コンピューターシステムの総務部などが入っていました。

#08、広重住居跡から南南西方向を望む
%08広重住居跡から南南西方向の眺望P021B.jpg
参考まで、広重住居跡の前の道路から、道路の延長線方向(南南西)を撮影しました。地図#02に示したように、富士山の方向は「青矢印」の方向で、道路は赤矢印方向に伸びているので、ここから富士山を撮影するのは、ドローンでも使わない限り、不可能でした。

#09、宝町歩道橋から南南西方向を望む(昭和通)
%09宝町歩道橋からの眺望P023C.jpg
同様に、広重住居跡の近辺で、少しでも高いところから撮影して見ようということで、宝町歩道橋の上から南南西方向を撮影しましたが、やはりここから富士山が見える可能性はほぼゼロでした。
 このようなことで、広重住居跡から市中繁栄七夕祭の現代版の写真の撮影は諦め、銀座シックスからの写真で代用しようと目論んでいます。
END



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第25回(上)、広重・名所江戸百景「市中繁栄七夕祭」(秋73景)その1 [広重・名所江戸百景]

2018年7月4日(水)取材
同7月8日アップ
題名改定:同7月13日(題名に(上)、(その1)を追加した)

ブラタモリトレース・二子玉川シリーズの途中ですが、急遽、七夕に関するブログをアップします。
 現在、12時を回ってしまいましたが、7月7日は七夕祭でした。
江戸時代にも、七夕祭りは行われ、約160年前、歌川広重も、「名所江戸百景」シリーズの中で、「市中繁栄七夕祭」を画いています(#01画面左)。この絵は、広重の住居の物干し台からの眺めを画いたとのこと。
 さて、例によって、広重と同一視点から写真を撮り、広重の絵と、現在の写真を比較するという試みをしました。

#01、広重画・市中繁栄七夕祭と銀座シックスから富士山方向の眺望
#01広重市中繁栄七夕祭新旧比較.jpg
広重の住居は、東京都中央区京橋1-9ということが判っています。
ところが、この近辺から、富士山を撮影することは困難で、この近辺で、一般人が、立ち入れる高い場所を探しました。銀座シックスの屋上が一般開放されているということで、あらかじめ撮影して来ました(7月4日)。
残念ながら、この日は、富士山は見えませんでした(#01画面右、但し、この写真の富士山は作図です)。
この、写真は、銀座シックス屋上の新橋寄りのところから、西南西方向を撮影したものです。

#02、銀座シックス屋上から南西方向の眺望
#02P1210002C.jpg
※青矢印のところに、富士山が見えるはずである。

銀座シックスから富士山の撮影は、大気がクリアーなときに、再度試みたいと思います。
END



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ブラタモリトレース・二子玉川(その2) [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同7月6日(金)アップ

次に、ショッピングセンター(高島屋)の、開発時のニュース画像やこぼれ話などが披露されましたが、この間、建物内で番組は進行し、ブラタモリトレースとしては、取り上げにくいので割愛いたします。

次に、タモリさん一行は、多摩川の河原にやって来ました。ここで、二人目の案内人が登場しました。

#14、多摩川の河原にて(二人目の案内人=向谷さん登場)
$14向谷さん登場P375C.jpg
※向谷さん:画面左

◆向谷さんのプロフィール
戸田恵子ナレーター:「向谷さんは、二子玉川出身のミュージシャンで、フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました。大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です。
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川なんです。」

◆「二子玉川」という名称の誕生のいきさつ(説明:向谷さん)
久保田アナ:「なんかニコタマ、ニコタマってしごく最近よく聞きますけど」
向谷さん:「ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね。(僕は、ここの出身なんですが)ニコタマって最初聞いてなんだソレって・・・。
僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ。だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど、この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな?。こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)それが一緒になって二子玉川っていう、ま~一つの俗称?ということです。」

◆向谷さんの「二子玉川」という名称の誕生のいきさつは、音声ファイルでもお聞きください。
%03.音声ファイル:二子玉川という名称の誕生のいきさつ


#15、多摩川河原(きたろう実写)
$15多摩川河原実写00B.jpg
※本写真は、地点C1から撮影。タモリさん一行は、この画面よりもっと川寄りの方でお話をしていました(地点C2)。

#00、ブラタモリトレース行程図
$00二子玉川散歩実績(正).png


◆タモリさん一行は、河原から、市街地のほうへ移動(地点Dへ)

#16、川から約50m離れたところにある謎の土手
$16川から50mのところにある土手P376B.jpg
※本画像右側約50m先が多摩川(河原)。画面奥が、二子玉川駅の方面です。

◆謎の土手発見
久保田アナ:「これ土手なんですか?」
タモリさん:「これは昔っからあった?」
向谷さん:「そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね。」
タモリさん:「これおかしいよね?」
久保田アナ:「でもここ道路ですよね?」
タモリさん:「これなんだろう?自然堤防でもなさそうだよね」
久保田アナ:「ですね、階段もついてますし・・・」


#17、謎の土手上で、土手の吟味は続く
$17謎の土手上にてP377B.jpg

タモリさん:「なんだろうねこれは?」
向谷さん:「多摩川、結構多いですよね、長いから、あっちの下の方にもあるし、こっち
       にもあるし」
久保田アナ:「ちょっと土手らしくピクニックされている方も、いらしゃいますし(笑)」
タモリさん:「もっと川沿いにあるなら話はわかるけど。なんだろう これ?」
向谷さん:「ちょっと謎ですね」
久保田アナ:「いざという時役に立たないですよねこれ」
向谷さん:「そうですね(苦笑)」

#18、謎の土手上から(きたろう実写)
$18謎の土手実写03.jpg
※地点D=玉川3-5-3(画面左端の紺色の看板の店(居酒屋)の住所)

#19、俯瞰撮影・・・多摩川と謎の土手との間にマンションが立ち並ぶ
$19土手の俯瞰撮影P379.jpg


#20、大正13年の地図
$20玉川古地図P384.jpg

◆謎の土手が出来た理由
戸田ナレーター:「多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます。土手があるのは川からおよそ50m離れたこの場所。これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよね~
 不思議な土手ができたわけ、それは大正13年の地図の中にありました。現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています。
 氾濫の多かった多摩川沿いにはこの様に堤防を作る計画が持ち上がりました(古地図、川沿いの赤の線)。
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く挙がりました。」

シャリ~~ン(効果音)

「その結果、この様に堤防は川から離れた現在の位置に(緑の線)造られる事になったんです。」

この説明は、音声ファイルでもどうぞ・・・

%04、音声ファイル:謎の土手が出来た理由(戸田ナレーター)


◆次に、タモリさん一行は、一軒だけ残っている、老舗の料理屋にやって来ました。

#21、一軒残る老舗の料理屋(やなぎや)
$21老舗料理屋やなぎやP387.jpg


#22、やなぎや正面入口(きたろう実写)
$22Bやなぎや実写04.jpg
※やなぎや・・・玉川3-25-15

◆タモリさん達は、女将に出迎えられ店内に入りました。

#23、和のスイーツセットを食すたもりさん達
$23P1200399.jpg
右端・・・女将:西尾順子さん
女将は、このスイーツをお茶菓子と称していたが、実際は、多摩川をイメージした10数種から成る、和スイーツの豪華な盛り合わせであった。

◆女将は、昔の写真をタモリさんたちに披露した。

#24、昔のやなぎやの写真
$24やなぎや古写真P397B.jpg
※この、写真が何時頃かの説明(テロップも含め)はなかった。

◆女将から土手に関する話を聞く
タモリさん:「創業何年くらいになるんですか?」
女将:「天保2年(1831年)でございます。これ、昔の古い写真なんですけど・・・」
久保田アナ:「うわぁ~貴重なものですね!」
向谷さん:「これ川沿いだ、本当に。」
久保田アナ:「舟を浮かべて・・・」
女将:「そうですね、舟遊びをされていたようです。」
久保田アナ:「どういう方がいらっしゃるんですか、お客様は?」
女将:「そうですね~、天保年間の時には徳川様がお見えになりました。」
久保田アナ:「あの徳川様!」
向谷さん:「他に徳川様はいない。」
一同笑い
久保田アナ:「ここに来る途中に道路の真中に土手があったんですが(あれは、何なんですか?)」
女将:「土手ですね、ほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど、お料理屋さんの景観が悪くなってしまうのでお料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で、もう私達はどうなってもいいから・・・・」
一同笑い

#25、古写真・・・料理屋から多摩川方向眺める女性二人(芸者?)
$25古写真やなぎやからの眺望P400B.jpg
女将:「私たちは水で流されてもいいから、この景観を残しておきたいという事で・・・」
タモリさん:「結局、料理屋は流されたことはないんですね?」
女将:「流されたことはございません、(他の料理屋さんは)みんなお辞めになりましたけど・・・」
久保田アナ:「あ~~~」

◆「女将から土手に関する話を聞く」は音声ファイルでもどうぞ・・・
%05、音声ファイル


#26、現在の多摩川河原(ストリート・ビュー)
$26ストリートビュー多摩川河原P400ウ.jpg

(続く)
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ブラタモリトレース・二子玉川(その1) [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同7月3日(火)アップ

大変、ご無沙汰しております。
ちょっと間が空きましたが、また、ブラタモリトレースを企画し実施しましたので、ブログ・アップ致します。

※お詫び
前回の「ブラタモリトレース・神宮外苑」は、全3回シリーズ予定のところ、2回で中断してしまい、大変申し訳ございませんでした。お詫び致します。

さて、今回は、NHKの番組「ブラタモリ」シリーズの第3回目に放送された「二子玉川」に焦点をあてました。本番組は2009年(平成21年)10月15日に放送され、2010年10月22日に再放送されました。(本ブログは、再放送の画像を使用しました。また、アナログVTRで録画したものからの画像ですので、不鮮明な画像であることをご了承ください。)
 
#00、ブラタモリトレース・二子玉川の地図(計画&実績)
$00二子玉川散歩実績(正).png

番組のロケ地は
①巨大ショッピング・センター
②古写真に写された場所(#00地図の地点B)
③多摩川河原
④川から離れた場所にある謎の土手
⑤一軒残る、老舗の料理店
⑥廃止された玉川電気鉄道の名残の構造物(鉄道柵)
⑦同電停「中耕地」の跡地
⑧蕎麦屋・大勝庵(玉川電気鉄道グッズ収集家)
⑨行善寺
ですが、①ショッピング・センターと⑨行善寺、は取材を割愛しました。
また、⑤の老舗の料理屋については、店の前の通過に留めました。

#01、ブラタモリ 二子玉川 オープニング画面
$01P1200345B1.jpg

オープニング・テーマ曲(音声ファイル)


#02、タモリさんと久保田アナが二子玉川降り立つ(TV画像)
$02P1200348.jpg
タモリさん達が、電車で二子玉川駅に来たとは思えませんが、タモリさん久保田アナが二子玉川駅に降り立ち、西口から出てくるところから番組が始まりました。この後すぐに、二子玉川駅前の再開発の映像に変り、当時(2009年)再開発の真っ最中であるのが紹介されました(駅舎も改装中)。
ついで、タモリさんは、ほとんど二子玉川に来たことが無く、興味もあまりないというのに対し、久保田アナは、二子玉川はおしゃれで素敵な街であるという認識を持っていることが発覚しました。

注)以下、TV画面の写真は、青い枠で囲んで示し、「(TV画像)」の表示は割愛いたします。

#03、現在(2018年6月)の二子玉川駅西口(きたろう実写)
$03鎌倉会二子玉川38C.jpg
駅舎はメタリック調の外装にリニューアルされました。

#04、多摩川河原
$04P1200348C.jpg



多摩川に架かっている鉄橋は、東急田園都市線の鉄橋です。画面左方が二子玉川駅方面、画面右の先が溝の口方面です。
(※見える川面は、厳密には多摩川の支流の野川か?丁度この付近で合流するので、微妙なところです。)

本画面を皮切りに、二子玉川交通アクセス図、多摩川の空撮映像、駅前巨大ショッピングセンターの映像が示され、それに合わせて戸田恵子さんが、二子玉川の概要説明をナレーションしました。

二子玉川の概要(ナレーション:戸田恵子さん)(音声ファイル)


次に、ショッピングセンター内を歩くタモリさんと久保田アナの場面になります。タモリさんは、ショッピングセンターには全く興味を示さないまま番組は進行しましたが、ここで一人目の案内人の方が登場したとたん、タモリさんはがぜん、ブラタモリのスイッチが入ったようです。

#05A、一人目の案内人松沢邦光さん(画面右)
$05P1200354A.jpg
松沢邦光さん:ショッピングセンター開発時の現場責任者。この辺一帯の、地権者一軒一軒と交渉を続けているときに、この辺の写真を撮影、現在まで大切に保管していたとのこと。

#05B、開発時撮影した写真の場所と同一場所との新旧比較
$05P1200354B.jpg
久保田アナ:「この辺で、同じポジションが判る場所がありますか?」
松沢邦光さん「今、この角が、この写真の場所です。」
タモリ:「ここは、何があるんですか?」
松沢さん:「砂利置き場!」
久保田アナ:「砂利置き場!!ハー!?」

#06、かつて「砂利置き場」だった交差点の北西の角(現在)。
$06P1200358完.jpg


#07、同上場所の昭和38年の写真
$07P1200355完.jpg


#08、同上、北東の角(現在)
$08P1200356完.jpg


#09、同上場所の昭和38年の写真
$09P1200364完.jpg
タモリ:「世田谷じゃないですね」
松沢さん:「全然違います。」
タモリ:「ものすごいド田舎です。これを見せて、昭和38・39年頃の世田谷とは誰も思わないです。」
久保田アナ:「分からないですね、本当に。」

#10、古写真の現在の場所の解析(地図)
$10古写真撮影場所と方向.png


現地で、古写真の撮影場所は、#10の「地点A」と思い、写真を撮りました。

#11、地点Aからの眺め(現在)きたろう実写
$11鎌倉会二子玉川28F.jpg
しかし、この写真では交差点の左の角の建物が全く違うことや空中連絡通路の数が、ビデオでは1本に対し、撮影した写真では3本もあり、ここでは無いことが判りました。

帰宅後、ビデオを見返したところ、タモリさん、松沢さんの後方に野村證券の赤い看板がある(#05A、#05Bにも写っている)のをヒントに、GOOGLE MAPのストリート・ビューで付近を探索したところ、#10の「地点B」がその場所であると判明しました。

#12、旧砂利置き場の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
$12鎌倉会二子玉川30ア完.jpg


#13、旧田園風景が広がっていた所の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
$13鎌倉会二子玉川ウ完.jpg

<続く>


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さかはし矢波さん(Fl.)福田素子さん(Pf.)アフタヌーン・クラシック・コンサート、2018年5月19日(土)、於:市川市東部公民館 [演奏会]

2018/05/19(土) 演奏会取材
2018/05/21(月) ブログ・アップ

市の公民館で、春と秋に行っている主催講座で標記のコンサートが取り上げられ受講して来ました。
講座と称していますが、内容は、一般的なコンサートです。
講師(演奏者)の方は、東京フィルハーモニー交響楽団のフルート奏者・さかはし矢波さんと市川市・栃木市等で活躍されているピアニストの福田素子さんです。(詳しくは、末尾のプロフィールを参照してください)

#01、公民館で行うフルート・ピアノのデュオ コンサート(市川市東部公民館)のポスター
$01さかはし矢波・福田素子・庭P47.jpg
※合成写真です。背景は、演奏会場の市川市東部公民館(前庭)です。

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荒絵理子さん、1stアルバム発売記念・オーボエリサイタル鑑賞記、2018/5/10(19:00START)、サントリー・ホール(小ホール) [演奏会]

2018年5月10日(木)取材
同5月12日アップ
我が市のクラシック界の星・東京交響楽団・主席オーボエ奏者の荒絵理子さんが、1stアルバム発売記念のリサイタルを開くということで、聴きに行きました。

#01、荒絵理子さんオーボエ・リサイタルのちらし
#01荒絵理子リサイタルちらし.jpg
◆2018年5月10日(木)19時開演、会場:サントリー・ホール(小ホール)
演奏曲は、CDに収録した作品演奏とほぼ同じ。

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