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ブラタモリトレース・仙台杜の都の秘密(宮城刑務所)編 [散歩会]

 最近の数年間、仙台に帰省した折に開催していたブラタモリトレース(タモリさんさんが歩いた跡を辿る散歩会)を開催してきました。
 今回は、ブラタモリ「仙台・杜の都の秘密」編の中の「宮城刑務所」の部分を辿ることにしました。
宮城刑務所はその昔、伊達政宗が晩年をすごした屋敷があったところです。幕府には、ここの屋敷は、正宗が晩年を過ごす隠居のための屋敷という名目で建設の許可を申請しました。しかし、その実態は、若林城という立派なお城だったのです。その中に、臥龍梅(がりゅうばい又はがりょうばい)と蟠龍(はんりゅう)の松という名木があり、「杜の都」編として取り上げられたのです。

#00、宮城刑務所内の臥龍梅
%17ブラタモリ平270718-122B.jpg
NHKのブラタモリより引用(以下、青い枠で囲った画像は、NHK・TVの画像です。但し、アナログVTRでの録画画像のため不鮮明ですのでご了承ください。
           
 タモリさんは、NHKの番組の取材ということで、宮城刑務所内の見学&ロケが出来ますが、我々一般人は、刑務所内へ入るということはあきらめていました。
ところが、昨年秋に、一般人でも、毎年10月に開催される、刑務所の矯正展の時なら刑務所内の見学が出来るということを仙台在住の方が教えてくれました。そこで、今年の夏ごろから、Google Alertで「宮城刑務所」「矯正展」のキーワードで情報アンテナを張っていましたが、9月半ばになっても、ネットからの情報は得られなかったため、宮城刑務所に電話して問い合わせたところ、「今年は、11月4日(日)開催で、所謂・刑務所の塀の中の見学は、午前9時30分から受け付ける」との情報を得ました。その他、ネットのブログで、「矯正展では、受刑者が作った家具・工芸品の販売の他各種イベントや刑務所の食事の試食もある」ということはわかりました(但し2015年矯正展の情報(※))。その後も、ネットでの情報収集を続けましたが、有力な情報は得られず、宮城刑務所は、矯正展のネットへの情報発信に関しては消極的と思われました。  さて、最低限、日時がわかれば、いつものように、メンバーを募ることは出来るので、中学の同級生を対象に募集を募ったところ6名の参加者が集まりました。 ※「はかたっこのブログ」さん・2015年開催の矯正展の訪問レポによる。
    
#01、宮城刑務所矯正展(2018)宮城刑務所正門
#01宮城刑務所02B.jpg
ブラタモリのロケで、タモリさん一行もここから入場しました。但し、そのときは大扉は閉まっており、タモリさん一行は、右側の小扉から入場していました。 我々総勢7名の散歩会メンバーは、丁度AM10時に、門の中に入りました。
      
#02、宮城刑務所近辺の地図と宮城刑務所への交通案内
#02宮城刑務所03C3.jpg
宮城刑務所の住所は「仙台市若林区古城2丁目3-1」です。宮城刑務所は、伊達政宗が晩年を過ごした、「若林城」の跡地に作られたもので、ここの住所はその由緒あるお城の名前をそのまま踏襲しているということになります。 また、刑務所へのアクセスは、公共交通機関はバスということになりますが、駐車場があり車でのアクセスも可能です。 ※図の中に、公共交通機関のアクセス詳細を書きましたが、ブログ末にもテキスト形式で、掲載します。
      
#03、利府太鼓演奏
#03宮城刑務所03C.jpg
太鼓の音は、会場外でも良く聞こえていました。黄色のアーチ状のゲートをくぐると、正面左手に中央ステージがあり、そこで太鼓の演奏がありましたが、ちょうど終了まぎわでしたので、素通りし、「塀の中の見学」受付場所へ向かいました。
    
#04、宮城刑務所施設見学受付場所
#04宮城刑務所04C.jpg
所謂塀の中の見学の受付場所には、すでに50人以上の方が集まっていてその後も列がどんどん伸びていて、関心の高さが現れていました。 ※「塀の中の見学」のことは、主催者は「施設見学」と称しているので、本ブログでも以下施設見学と記述します。 ここで、ビニール袋が渡され、携帯電話、カメラ、タバコ、ライターを袋の中に入れ、口を縛るよう指示がありました。つまり、施設見学中は残念ながら、撮影禁止ということです。そういえば、ブラタモリでは、塀の中の取材が出来ることになったことを、「特別に撮影許可が!!」と大きなテロップでアピールしていました。荷物検査があると思っていましたが、それはありませんでした。  前方の門から、1グループ20人くらいずつ入り、刑務官2名の方に案内されました。今回施設見学に訪れた一般人は、待っているいる間、全く緊張感は無く、和やかな雰囲気で、入場を待っていました。 入場の際、刑務官から、施設見学中は、グループから離れないよう、厳しく注意を受けました。 ここから門の中の施設見学は撮影禁止なので、以下ブラタモリのTV画面を掲載します。
     
#05、タモリさん一行塀の中へ入場
#05ブラタモリ平270718-106B.jpg
タモリさん一行メンバーは、タモリさん、桑子アナとブラタモリ案内人・仙台市教育委員会の木村さんです。宮城刑務所の刑務官(庶務課長)の先導で、塀の中に入っていきました。タモリさんはいつものブラタモリでは見られないような緊張した表情で入っていきました。
     
#06、07、蟠龍(はんりょう)の松
%06ブラタモリ平270718-108B.jpg
%07ブラタモリ平270718-107B.jpg
番組のナレーションでも、画面に書いてある「幹の長さ36m、樹齢360年以上」の解説はありませんでした。 我々の施設見学では、見学の最後に、この松の解説がありました。今でも、日々、幹は伸びているとの事でした。
     
#08、城の土塁跡
%08ブラタモリ平270718-110B.jpg
松の後方に、土の高まりがありますが、これは、城の土塁の跡であると木村さんの解説がありました。
     
#09、松の幹の先端と土塁のEND部
%09ブラタモリ平270718-111B.jpg
お城の時代は、この土塁の左側から、城の中心に入っていきました。現在も、同じ経路で、施設の中心に入っていきました。
     
#10、出丸に向かう、タモリさん一行
%10ブラタモリ平270718-051B.jpg
土塁の上・塀のすぐ内側の通路を、出丸(※)に向かって進んで行きました。ここで、桑子アナが「(ここの)高さは何m位なのですか?」という素朴な疑問を刑務官にぶつけたところ、「警備上の問題から答えられない」とのことでした。 また、#10の画面で、塀の上部に”ぼかし”が施されていますが、この部分には、電線が張られていました。このことも、秘匿事項のようなので、きたろうは目撃してきましたが、その詳細については言及致しません。 ※出丸・・・本城から張り出した形に築かれた小城(デジタル大辞泉)
    
#11、旧若林城出丸部分
%11ブラタモリ平270718-115B.jpg
お城の特徴的な「出丸」部分がそのまま残っていました。 #02の地図の宮城刑務所の北東部分。特徴的な出っ張りが、地図でも確認できます。 (矯正展の施設見学で、ここはコースに入っていませんでした。)
    
#12、タモリさん一行移動中
%12ブラタモリ平270718-055B.jpg
タモリさん一行移動中のシーンです。我々の施設見学でここは通らなかったと思いますが、この映像は、刑務所内の建物の典型的な様子なので掲載しました。刑務所内の建物は、窓に鉄格子が張られているのを除けば、極々一般的な工場の建物のような感じでした。
    
#13、刑務所内の工場棟
%13ブラタモリ平270718-118C.jpg
渡り廊下の前方約20mで右側に延びている棟が工場棟です。番組で工場棟内の映像はありませんでしたが、我々は、中に案内されました。工場棟内は、木工場の様相を呈し、いろいろな木工加工機、材料、半製品、完成品等が整然と並んでいました。
     
#14、臥龍梅(朝鮮梅)
%14ブラタモリ平270718-119C.jpg
宮城刑務所の一番奥にある、今回のブラタモリ(仙台・杜の都編)の目玉となる木、臥龍梅(がりゅうばい)です。朝鮮出兵のとき、正宗が、母親に見せたいために、この木を持ち帰ったとの事。樹齢は諸説あり、220年とも360年とも言われています。龍が寝そべっているような形にみえるためこの名が付きました。
    
#15、同上
%15ブラタモリ平270718-120C.jpg
タモリさん:「よっぽど気に入ったんでしょうね」 この木は、最初の梅に接ぎ木したもので二代目で、臥竜梅として国内最大のものとして、国の天然記念物に指定されています。 刑務官:「刑務所の中にある天然記念物というのは私が知るかぎりでは、この宮城刑務所刑務所にある臥龍梅だけだと思います。」
     
#16、臥龍梅、春花が満開のときの写真
%16゙ラタモリ平270718-121B.jpg
刑務官:「今年(平成27年)の3月の下旬に撮ったものです。」 桑子アナ:「今でも、元気ですね~」 木村さん:「このきれいな花の姿を見られるのは、刑務官の方たちの特権ですね。」 刑務官:「いや、受刑者も当然見られます。」
     
#17、臥龍梅取材風景
%17ブラタモリ平270718-122B.jpg
木村さん:「お城の跡にすっぽり刑務所がつくられたおかげで、余計な開発等されず、正宗が隠しとうしたお城の痕跡が、そのまま残ったということです。」
     
#18、施設見学終了
%18ブラタモリ平270718-124B.jpg
タモリさん一行:「ありがとうございました!!」
    
#19、宮城刑務所の取材を終えて
%19ブラタモリ平270718-125B.jpg
刑務官:「どうですか?一歩塀の中から出て頂いて?」 タモリさん:「久しぶりのシャバだな~シャバの空気はいいな~」 一同:「笑い」 ※ブラタモリ「仙台・杜の都編」はここで終了でした。我々が施設見学をした時間は正味20~30分くらいだった思います。
    
#20、矯正展中央ステージ近辺の風景(11時02分撮影)
%20宮城刑務所09B.jpg
当日は、快晴で、風も無く気持ちの良い天気でした(仙台地方11時現在。気温17.4℃、湿度52%、風速:東の風・風速0.8m)。 この番組(ブラタモリ・仙台・杜の都の秘密)が放送されたのは、平成27年7月18日(土)でした(同「仙台・地形と用水」編は、7月11日(土))。 同年の10月25日に第1回ブラタモリトレースと称する散歩会(中学同期メンバー)をはじめて以来、今回で第7回(最終回)となりました。毎年5月10月(今回は11月)に開催して来ましたが、全部の会で天候には恵まれました。
    
#21、仙台89ersチアーズの演技
%21宮城刑務所08C.jpg
仙台89ERSは、Bリーグのプロバスケットチームです。89ersチアーズはそのチアリーダーで、華麗なダンスと元気な声援で仙台89ERSのホームゲームを盛り上げています。
     
#22、チアーリーダーとキャラクターによる抽選会
%22宮城刑務所19C.jpg
ティナ君(※)から特別賞授与。中身は、サイン入りユニフォームおよびその他でした。 ※ティナ君:仙台89ERSのキャラクター(子どものライオン) きたろうは、1番違いではずれました(残念(-_-;))(前後賞はありませんでした)
     
#23、受刑者製作物の販売
%23宮城刑務所10B.jpg
矯正展のメインのコーナーです。製作物は、木工品、衣類、バッグ、洗剤等いろいろなものが販売されていました。 きたろうもスマホ・スタンドを買おうとしましたが、スマホケースに入れたままだと、スタンドの穴に収まらず、断念しました(裸だと入るが))。 ここは、宮城刑務所のコーナーですが、隣県の、山形、福島県の刑務所、さらに遠く四国、九州の刑務所からの出展もありました。  その他、ラーメン、カレー等の食事コーナー、ドーナツ、焼き鳥等の販売コーナーもありましたが、割愛しました。
     
#24、完全に出所しました
%24宮城刑務所15ブログ用.jpg
次の予定もあったので11時30分頃、宮城刑務所を完全に出所しました。
    
#25、「出所者の出迎えについて」(注意表示板)
%25宮城刑務所20B.jpg
門の右側刑務官詰め所の右側に、注意表示板が掲げられていました。
    
●見学を終えて 刑務所内の建物は、思っていたほどいかめしいものではありませんでした。構内の地面や樹木は、清掃整備が行き届いており、きれいでした。グランドもあり、受刑者でソフトボールのゲームが行われるとのことでした。建物の鉄格子や塀に設置された電線に気づいたときに、ここは刑務所の内部なのだな~とのなんとも言えない感慨がわきました。
     
<宮城刑務所へのアクセス>
●地下鉄薬師堂駅からバス
①73系統、藤田行きまたは70系統、霞の目営業所前行き「南小泉三丁目」下車、徒歩10分
②75系統、長町南駅・太白区役所前方面「古城二丁目」下車、徒歩0分
※但し、75系統は平日は便数が非常に少ない上、休日は運休なので、ご注意ください。
●地下鉄河原町駅から
①徒歩18分
②河原町駅東(バス停)から75系統薬師堂行き、「古城二丁目」下車、徒歩0分
※但し、75系統は平日は便数が非常に少ない上、休日は運休なので、バスの利用はあまり推奨しません。
     
END
    
   

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第27回、広重・名所江戸百景「広尾ふる川」(春22景)(その2) [広重・名所江戸百景]

取材:2018年10月10日(水)
アップ:2018年10月24日(水)

前回(その1)は、「広尾ふる川」を画いた場所が天現寺付近と考え、この近辺を取材しました。また、画かれた橋は、何橋か確証のないまま、漠然と天現寺橋であると考え、前回は、天現寺橋近辺を取材しました。
 ところが、その後、#01の右に示した、絵本江戸土産「麻布古川相模殿橋広尾之原」という絵をネット上で発見し、この絵は天現寺橋より約800m下流の四之橋(しのはし)付近から画かれた絵であることが判りました。
 この絵は、絵本江戸土産「麻布古川相模殿橋広尾之原」という絵で、広重が名所江戸百景を画いた6年前54歳のときに画いた絵です。この表題に書いてある橋「相模殿橋」とは、古地図にも明記されているように、「四之橋」のことで、この橋名は、現在もそのまま残っています。

#01、名所江戸百景「広尾ふる川」と絵本江戸土産「麻布古川相模殿橋広尾之原」
$01広尾ふる川と麻布古川相模殿橋JPEG.jpg
二つの絵は、明らかに同一の場所をほぼ同一の視点から画いています。両方とも俯瞰描写で絵本江戸土産の方は、推定6mの高さから画かれています。名所江戸百景の方は、推定30mほどの高さから画かれています。
 絵本江戸土産の方は、実際にこの高さから見て画いたという可能性はありますが、名所江戸百景の方は、広重の得意とする「ありえない視点」からの想像(創造)の絵と考えられます。
 さて、この二つの絵で、古川にかかっている橋は、前述のとおり、四之橋です。画面左の料亭は、古地図に⑨と示したように、「狐鰻」という料亭です。橋と料亭の間によしず張りの茶屋があり、この通りは、結構人通りが盛んであったことを物語っています。
 料亭の、右側の屋根は、黒田甲斐守等の武士の屋敷の屋根と考えられます。さらに、その後方に広尾原が画かれています。
 この二つの絵は、同一の場所を画いているのにかかわらず、印象がかなり違います。特に川の両岸と広尾原の部分は、絵本江戸土産の方は、草が荒れた感じで生えているのに対し、名所江戸百景の方は、庭園の草地のように良く手入れされているように画かれています。また、石垣も絵本江戸土産の方は雑に積んであるのに対し名所江戸百景では形の整った石をきれいに積んでいるように画かれています。 これは、実際の景色がこのようになったのではなく、名所江戸百景の方は、写実性からやや脱却し、様式美の方向へ進んで行った広重の変化と見て取れます。このことは、前々回の「鎧の渡し小網町」でも同様なことが見られました。

#02、広重「広尾ふる川」の舞台(広域版)
$02広尾ふる川近辺の古地図(広域).jpg
 今回の取材も、#02の(イ)の地下鉄「広尾」駅で下車、①の天現寺付近を再取材し、さらに⑥光林(禅)寺、⑦、⑧、⑩四之橋付近へと歩を進めました。

#03、広重「広尾ふる川」の舞台(古地図・拡大版)
$03A05広尾ふる川近辺の古地図(拡大).jpg


#04、広重「広尾ふる川」の舞台(現在)
$04広尾ふる川近辺の現在の地図(拡大).jpg


#05、光林禅寺表札(駐車場)
$05南麻布光林寺Ⅱ065.jpg
光林寺(こうりんじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院。慈眼山光林寺。所在地は東京都港区南麻布四丁目11番25号。

#06、光林禅寺の山門
$06南麻布光林寺Ⅱ066C.jpg
取材日の一寸前(2018年9月30日)に、光林寺にて女優の樹木希林さんの葬儀が執り行われました。

#07、四の橋交差点
$07四の橋交差点Ⅱ074C.jpg
地図の⑦と⑩の中間辺りから、南側交差点を望む。

#08、四之橋(四の橋交差点側から望む)
$08四の橋北詰Ⅱ076.jpg
橋の表記は「四之橋」で、読み方は「しのはし」です。橋の北側すぐの明治通りの交差点名は「四の橋」交差点です。古地図では「四ノ橋」で、「相模殿橋トモ云」と記されています。これは、地図で⑦の位置に土屋相模守の下屋敷があったためにそう呼ばれました。
 広重の名所江戸百景「広尾ふる川」で画かれた橋は、まさにこの橋でした。

#09、四之橋下流から古川と四之橋を望む
$09広重広尾ふる川に相当する写真Ⅱ080C.jpg


#10、名所江戸百景「広尾ふる川」が画かれたと同一の現在の視点
$10広尾ふる川今昔比較(四の橋).jpg
この画像が、名所江戸百景「広尾ふる川」画かれた、視点に最も近い画像と思われます。
 広重の広尾ふる川の原画では、近景に木造の橋、ヨシズ張りの茶屋、評判の鰻屋が見られ、遠景に庶民が散策を楽しむ広尾原が広がっているという、江戸時代としてみれば、郊外の一観光スポットのような地域を画いた絵であります。
 それに、対し、この写真では、中心となるのは、コンクリート製の川の護岸の壁と上を覆う高速道路というなんとも都会の無機質な景色で、名所というには、程遠い画像でした。 
 しかし、この一枚は、広重の視点と同一の場所からの一枚で、押さえの写真として重要です。
ここで、これとは別に、この近辺で、「広尾ふる川」のイメージにより近い画像が無いかということで探して見ました。そうしたところ、本シリーズの前々回(9月30日アップ)の、写真#05がこれに該当すると思われました。この写真を#11として、再掲いたしました。

#11、名所江戸百景「広尾ふる川」のイメージ再現の一枚
$11広尾ふる川今昔比較(天現橋).jpg
これは天現寺橋から西方を望んだ写真です。この写真では、川と橋の要素に加え、向かって左の岸は、木々に覆われ、視線は開けていて遠くまで気持ち良く見通すことが出来ます。この、一枚は、イメージの再現の一枚として貴重な写真です。
 この写真は、天現寺橋上から、西、回生橋(注)方向を写した写真です。
 この景色であれば、名所とは、いえませんが、しばし、佇んでこの景色を楽しむということは可能です。

注)回生橋:天現寺橋の西方40mに架かっている橋。明治通りから、広尾病院の北駐車場に通ずる橋です。

本シリーズでは、広重の名所江戸百景の絵を、広重と同じ視点で写真を撮影、その今昔を比較すると言う事をやっています。一枚の写真で、広重の絵を再現するのが理想ですが、これが出来るのはめったにありません。
今回の広尾ふる川では、次に示した部分は、一枚の写真で示すのは出来ませんでした。

#12、名所江戸百景広尾ふる川・ヨシズ張りの茶屋と狐鰻
$12広重広尾ふる川左部分の拡大.jpg
広尾ふる川」の浮世絵原図と比べると、川と橋は撮影出来ました。しかし、この位置からは、原図左端に画かれたヨシズ張りの茶屋と狐鰻に相当する部分は、川岸の建物に遮られて見えませんでした。

#13、広尾ふる川四ノ橋近辺の地図の今昔
$13広尾ふる川近辺の新旧地図.jpg
ヨシズ張りの茶屋に相当する場所と狐鰻に相当する場所が両方撮影できる位置からの写真を#14に示しました。

#14、四の橋南詰め(白金1丁目及び2丁目)近辺(パノラマ合成写真)
$14白金2・3町目画像Ⅱ094B4.jpg
この近辺の今昔の地図及び名所江戸百景と現在の写真を見比べると、昔のヨシズ張りの茶屋は、画面中央の自転車がおいてある所に、また、狐鰻は、画面左側の田島町会館のところにあったと推定出来ました。

#15、旧田島町にあった「狐鰻」と現在の田島町会館
$15狐鰻の新旧.jpg
昔、狐鰻があったところは、現在田島町会館という建物が建っています。狐鰻のあったところの建物が、江戸期の地名「田島町」に因んだ会館名にしてあるのには、興味が惹かれました。

さらに、この位置からは、昔の広尾原は到底眺むことは困難でしたが、それに関しては、次回で話を進めることとします。
(続く)


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第27回、広重・名所江戸百景「広尾ふる川」(春22景)(その1B)  [広重・名所江戸百景]

アップ:2018年10月8日(月)

※今回は、現地取材内容に基づいた記事ではないので、「その1B」としました。

#13、名所江戸百景「広尾ふる川」(再掲)
#13広重名所江戸百景広尾ふる川.jpg
今回この地の取材は、手持ちの資料の「この絵は南麻布天現寺橋を渡った先にあった広尾原を描いていると考えられる。」という記述に従って、天現寺橋近辺の川沿いの写真を撮影してきました。
 自宅に戻り、広重が当時画いた地点を特定すべく、古地図で検討しました。人文社の「嘉永・慶応江戸切絵図」及び「明治の東京」で、天現寺橋を探しましたが、これらの地図では天現寺橋と明記された橋は見つかりませんでした。

#14、広尾ふる川の舞台「東京大絵図」(明治4年)
#14広尾ふる川近辺の古地図.jpg
上の地図で、①が天現寺、②が現在の天現寺橋が架かっている場所です。しかし、この位置には当時橋は架かっていませんでした。
天現寺の辺りで、③広野原を遠望し、手前に橋がある景色ということで、この時点で一応④の近辺からの景色を、画いたと考えました。(青矢印の方向を画いた?)
 ところが、ネットで広尾の昔の調べを進めているうちに、広重が50歳代のときに画いた「絵本江戸土産」という絵を見つけました。

#15、絵本江戸土産「麻布古川相模殿橋広尾之原」
#15絵本江戸土産麻布古川相模殿橋広尾之原B.jpg
#13と#15の絵はそっくりで、同じ場所を画いたものと考えられました。
即ち、この二つの絵は、古川に架かっている相模殿橋の東側から相模殿橋と遠景として広尾原を画いたものということが判明しました。
※相模殿橋は、上の地図の⑨四ノハシのことで、広重は赤矢印の方向を画いたと考えられる。

 今回の取材では、現在の天現寺橋の周辺を取材しましたが、結果的に、大分的外れな取材だったことがわかりました。
 従って、早急に再取材し、改訂版をアップしたいと考えます。


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第27回、広重・名所江戸百景「広尾ふる川」(春22景)(その1) [広重・名所江戸百景]

取材:2018年9月5日(水)
アップ:2018年9月30日(日)

今月の初め、知り合いが、南麻布で夕方から、ヴァイオリン・リサイタルを行うということで、その前に、どこか広重の名所江戸百景の取材をしようと思いました。地図を見たところ、演奏会場のすぐそばに、名所江戸百景「広尾ふる川」の舞台となった場所があり、ここを取材することにしました。

#01、広重画名所江戸百景「広尾ふる川」(1856年)
%01広重名所江戸百景広尾ふる川.jpg
 まず、この「広尾ふる川」ですが、なんとも地味な絵です。名所江戸百景で採り上げられる風景は、著名な神社仏閣、花鳥風月で特徴のあるところ、謂れのある名木、伝説や物語の舞台となったところ等、なにか名所たる所以のある所です。
 しかし、この絵で特徴的なものは、川と橋及び画面左に料亭のようなものが見られるだけで、絵そのものから、名所江戸百景に選出された要素は見当たりません。
 但し、表題には示されていませんが、正面奥の丘状の部分は、「広尾の原」と言って、将軍の鷹狩り、または庶民の遊歩散策の場所として、「江戸名所図会」に採り上げられていることから、名所江戸百景でも採り上げたものと思われます。

#02、名所江戸百景「広尾ふる川」が描かれた場所近辺の地図
%02地図天現寺近辺地図.jpg
私が、参考にしている、名所江戸百景に関する種本(注1)には、この絵を描いた場所として、「南麻布天現寺橋を渡った先にあった広尾原を描いていると考えられる」とだけの記載で、描かれている橋の橋名も上流から描いたのか、下流から描いたのか等詳しい記載はありませんでした。
注1)広重の大江戸名所百景散歩、人文社、1996年

#03、「広尾ふる川」関連写真撮影場所
%03広尾ふる川撮影場所詳細.jpg
広重が画いた名所江戸百景と同一視点で写真を撮るというのが、本ブログの命題ですが、広重の江戸末期の視点がはっきりしないまま現場に行きました。従って、広重の視点の可能性のあるところを、全部撮影して来ました。
※図中④~⑫の地点は、以下の写真#04~#12の写真と対応します。

#04、広尾病院の北側にある橋から西方を望む
%04広尾病院近辺から西方を望む.jpg
広尾原は、広尾病院の西の方にあったと考えられるので、まずここから、西方を撮影しました。
画面向かって左は、広尾病院、右は岸ぎりぎりまで、高層の建物がびっしり建っています。

#05、天現寺橋から西方を望む
%05天現寺橋から西方を望む05B.jpg
見えている範囲は、#04とほぼ同じです。

#06、天現寺橋交差点(歩道橋上)から西方を望む
%06天現寺橋交差点(歩道橋)から西方を望む07B.jpg

広重の「広尾ふる川」は、広重得意の俯瞰描写で画かれています。広重の視点に幾分かでも近づけるため、歩道橋の上から、西方を撮影して見ました。

#07、天現寺橋交差点から南西方向を望む(Googleストリートビュー)
%07天現寺橋交差点から南西方向を望む07C.jpg
今までの写真では、建物等で、視線がさえぎられ、広尾原方向が見通せないので、ちょっと視点を変えて、遠景が見えるようにして見ました。
※但し、Googleストリートビューでの画像です。

#08、天現寺橋親柱(南東のもの)
%08天現寺橋南西親柱14B.jpg
その他、参考写真として撮影しました。

#09、「清流の復活」の石碑
%09天現寺橋清流の復活13B.jpg
天現寺橋の南東のところにある石碑です。
これに関しては、次回説明します。

#10、天現寺橋交差点全景
%10天現寺橋交差点34B.jpg


#11、天現寺
%11天現寺33D完.jpg
交差点名、及び橋の名前の元となったお寺です。

#12、亀屋橋から西方を望む
%12亀屋橋から西方を望む36C完.jpg
念のため、天現寺橋のかなり東方からも撮影して見ました。

以上、一通り、広重が画いたと思われる視点の候補はおさえました。
しかし、どこの場所が正解としても、いずれの写真も、両岸ぎりぎりまで、建物等が迫っており、広重の広尾ふる川の絵とは、大変かけ離れていました。
次回は、橋のたもとにある料亭の建物や広尾原について、および、清流の復活の碑等に関し、考察致します。
(続く)


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第16回東京音楽コンクール弦楽部門本選参加記 [演奏会]

取材日:2018年8月29日(水)
アップ日:2018年9月11日(火)

 弦楽部門の本選が実施されてから、やや日にちが経ってしまいましたが、せっかく取材したので、アップします。

 8月22日(水)の第2次予選に引き続き、本選を聴いてきました。いよいよ、今日で、1位~3位が決まります。誰が入賞するかという興味の他、ヴァイオリン、ビオラの協奏曲をたっぷり聴けるというのも楽しみです。

#01、東京音楽コンクール弦楽部門本選ちらし
%01東京音コン弦楽本選ちらし.jpg


#02、東京文化会館入口
%02東京文化会館入口.jpg
当日は、曇りで風が無く、蒸し暑かったです。

#03、開場を待つ人々
%03東京音コン弦楽本選会場待ちの方々.jpg
開場直前のロビーの様子です。当日券をお求めの方も多数いらしゃり、人気の高さが伺われました。

#04、東京文化会館大ホール・開演8分前
%04東京文化会館大ホール.jpg
会場1Fは7~8割の入りでした。

#05、東京音楽コンクール弦楽部門本選進出者
ファイナリストの4名です。
%05東京音コン弦楽本選ファイナリスト.jpg
この写真は、先週、第2次予選結果発表直後の写真です。(公式写真撮影終了後に、一般聴衆者に一瞬の撮影許可が出て、撮影させて頂きました。)
右から、Vn:関朋岳(ともたか)君、Vlc:有冨萌々子(ももこ)さん、Vn:高木凛々子さん、Vn:北田千尋さん
※お詫びと訂正 前回第2次予選のブログに本写真を掲載し、各々の方を紹介したときに、北田さんと有冨さんを取り違えて紹介してしまいました。お詫びして訂正致します

#06、プログラム(前半2名)
%06東京音コン弦楽本選前半プログラム.jpg
演奏順は抽選で行われたとのことです。
前半の二人は、たまたま同じチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲二長調を選択しました。どちらの方も、音大4年生です。

#07、北田千尋(ちひろ)さんの演奏(Vn)
%07北田千尋さん.jpg
東京文化会館の公式ツイッターからの写真です。この写真は、第2次予選のときのものです。(以下のファイナリストの演奏中の写真もすべて公式ツイッターから引用したものです)
北田さんの、本選でのドレスは、ワイン色でした。
きたろうの北田さんの評価はAでした。コンクールなので、一応きたろうも、各演奏者への評価をつけますが、評価をつけるため、演奏開始1~2分は、分析的な聴き方をします。それで評価をつけてからは、通常の演奏会と同様、評価のことは忘れて、純粋に演奏を楽しみました。
 また、通常ここに各演奏者に対する、きたろうの感想・コメントを書くのですが、末尾に、総合審査委員長の小林研一郎氏の講評がありますので、割愛し、きたろうの評価点のみ記載いたします。

#08、高木凛々子(りりこ)さんの演奏(Vn)
%08高木凛々子さん.jpg
高木さんは、本選でのドレスは、鮮やかな赤色でした。
きたろうの評価はAAです。また、この時点で(暫定)「聴衆賞」としました。
演奏終了後、複数の「ブラボー」の声があがりました。彼女は、すでに、いろいろ演奏実績があり、熱心なファンがいるためと思われます。

#09、プログラム後半2名
%09東京音コン弦楽本選後半プログラム.jpg


#10、有冨萌々子(ももこ)さんの演奏(Vla)
%10有冨萌々子さん.jpg
本選でのドレスは、濃い赤色ベースに花柄模様でした。
きたろうの評価はA+です。

#11、関朋岳(ともたか)君の演奏
%11関朋岳君.jpg
評価は、冒頭1~2分でつけると言いましたが、彼の場合は、そこで評価をつけかねました。というのは、2次予選で、きたろうの評価は2位でした。その先入観で、演奏を聴いていたのですが、「待てよ」と思いました。曲が進むにつれて、各場面場面での演奏のニュアンスが微妙に弾きわけられているのに気が付きました。曲の解釈というか良く研究しているな!ということです。
きたろうの評価は、AAで、高木さんと並びました。
その後も、分析的な耳で聴き続けましたが、高木さんと優劣つけがたいまま演奏は終了しました。
以上4人の演奏が終了しました。きたろうの評価は、1位、高木さんと関君、3位、有冨さん。聴衆賞は高木さんという結果でした。

#12、終演後、聴衆賞の回収
%12東京音コン弦楽本選聴衆賞投票.jpg
聴衆賞の投票は、終演後10分で締め切られます。

#13、結果発票まで、ホワイエで待つ聴衆の方々
%13東京音コン弦楽本選発表前.jpg
結果発表は、終演50分後です。

#14、第16回東京音楽コンクール弦楽部門審査結果
%14東京音コン弦楽本選審査結果.jpg
写真のように、1位:関君、2位:高木さん、3位:有冨さん、入選:北田さん、聴衆賞:高木さんでした。きたろうの予測と正式審査結果はほぼ同じという結果でした。
※実際の結果発表は、ホール内ステージ上で行われました。
ステージ上には、演奏者、審査の先生方、主催者(東京文化会館事務局)の方々が登壇し、結果発表、表彰、優勝者コメント、審査員の講評が行われました。

#15、大谷弦楽部門審査員長講評
%15大谷康子さん講評第一次予選直後(公式ツイッターより.jpg
大谷さんからは、審査の全般的なことや、東京音楽コンクールの特徴、東京文化会館の入賞者に対する今後のフォロー・育成などについて語られました。
その中で、「今回は、皆様のレベルが高くて、嬉しい反面選考は困難であった」ということ、「若い演奏者に対して、聴衆の皆様のフォロー応援をお願いしたい」ということなどが語られました。
また、ご自身も演奏家でいらっしゃるためか、選に漏れた方に対しても「今回の結果にこだわりすぎないで是非頑張って大きく育って欲しい」と暖かい気遣いがありました。
※写真は、今回のコンテストの一次審査直後に寄せられた動画からフィックス(東京文化会館公式ホームページ)

#16、関朋岳君優勝者コメント
%16関朋岳君優勝者コメント.jpg
次に、1位入賞の関君のコメントがありました。
「本日は、長時間お聞きくださりありがとうございました。
私は、4回目の挑戦で、ようやく本選に来ることが出来、また、賞を頂く事が出来てとても光栄に思えます。様々な貴重な体験を経験させて頂きました。今後の音楽生活での励みになるとおもいます。本当に、ありがとうございました。」
(※発言内容をほぼ忠実に収録)

#17、小林研一郎総合審査委員長の講評
%17小林研一郎TV番組のインタビュー時.jpg
発言冒頭部分→省略
各演奏者に対するコメント
◆北田さん・・・立ち位置も含め、オケの中に入ってしまいました。オーケストラとの一体感というのはかもし出せますが、聴衆に訴えかけるには、前へ出て行ったり、動きを鋭くしたり、アスリートの動きも必要で、今後このようなところを注意して行ったら良いと思います。
◆有冨さん・・・弾き始めた瞬間ほとばしる音を出されたときは、私は驚きました。すごい音楽だと思いました。バルトークの真髄に迫ったと思います。この方向性をそのままで精進して行って下さい。
◆高木さん・・・すごい音でした。しなやかに舞う貴女の音はチャイコフスキーの真髄にたくさん息吹を与えました。
これからも、ますます精進なさってください。
◆関さん・・・第2次予選の時、関さんのようにバッハを弾いた方は、初めてでした。バッハを太く逞しく現出されました。
2次予選のパガニーニも良かったです。
 今日のシベリウスはとても難しいと思います。
オーケストラとの競演で、関君は、いろいろな取り組みを行い、実に絶妙な音を作り上げました。
 今後は、もっと強くしなやかにしなって鳴る音を加えて頂けたら、もう万全と思います。

どうぞ、四人の方々、まだスタートラインについたところです。これから、ひたむきに日本の文化に尽くしてください。
 日本人としての独特な音作りを世界に見せて頂きたいと思います。
皆様方、来年も再来年も、東京文化会館に、大きなお力をお貸し頂ける様お願い致します。

※小林研一郎氏の写真は、2013年1月頃のものです。
http://www.ntv.co.jp/yomikyo/images/130717/04.jpg


四つの、協奏曲を堪能し、大満足でした。
指揮:大井剛史さん及び日フィルの皆様もお疲れ様でした。

END

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第16回東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選参加記 [演奏会]

取材日、2018(平30)年8月22日(水)
投稿日、同年8月28日(火)

 恒例の、東京音楽コンクール(弦楽部門・第2次予選)へ行って来ました(先週の水曜日)。昨年、東京音楽コンクールでは、木管部門予選と本選及び弦楽部門本選に行きました。今年は、木管部門は無く金管部門ですが、金管部門は割愛し、弦楽の予選、本選に行くことにしました。
 音楽コンクールは、低料金で、たっぷりクラシックが聴けるということもありますが、若い演奏家が、日ごろの練習の成果を、大変な緊張の中で競って行くという独特な雰囲気は、一般の演奏会にはない魅力です。

#01、第16回東京音楽コンクール(弦楽部門)ちらし
$01東京音楽コンクール2018弦楽二次予選ちらし.jpg
※本チラシに掲載の演奏者は、昨年の弦楽部門第1位:荒井里桜さん(上段の写真)、第2位:三井静君(下段右)、第3位:パク・ハヤンさん(下段左)です。

#02、コンクール開催会場
$02東京文化会館P708B.jpg
一時、東京地方も、若干気温が下がりましたが、猛暑がぶりかえすなか、行って来ました。
 会場は、東京文化会館で、本写真は10時33分に撮影しましたが、この時間に東京文化会館へ来るのは年に1~2度位しかありません。東京文化会館玄関前で日光が南東から射すという画像は珍しく、新鮮な感じがします。

#03、東京文化会館小ホール案内掲示板
$03東京文化会館小ホール掲示板P710B.jpg
ご覧のとおりの開催コンサートのタイム・スケジュールと当日券販売の案内が掲示されています。

#04、東京文化会館小ホール内
$04東京文化会館小ホール内P711B.jpg
この写真は、午後の休憩終了時に撮影しましたが、8~9割の入りで、弦楽部門の人気の高さが現れていました(昨年来た、木管2次予選は、4~5割ぐらいの入りだったのに対し)。
 撮影位置の、後ろ側に、審査員席がありました。

#05、演奏&審査(1)
$05東京音コン弦楽二次予選審査経過 (1).jpg
さて、いよいよ演奏が始まりました。演奏は、1曲目は、ヴァイオリンソロでの演奏、2曲目は、ピアノ伴奏での演奏です。
 コンクールの場合はいつも、きたろうも審査員の端くれのつもりで拝聴し、僭越ながら、評価させてもらっています。その評価は、画面右側に記載しました。

最初の4名のなかで、関君は、力強く、若々しい演奏で良かったです。

#06、演奏&審査(2)
$06東京音コン弦楽二次予選審査経過 (2).jpg
演奏順、5番から7番の方です。
6番高木さんは、ダイナミックな部分繊細な部分の表情が的確に表現され、演奏にドラマ性が感じられました。

#07、演奏&審査(3)
$07東京音コン弦楽二次予選審査経過 (3).jpg
演奏順8番から10番の方です。
演奏順、8番の大倉さんは、1曲目どうかな思いましたが、2曲目がとても良かったので評価Aにしました。
8番のチェロ、10番のコントラバスは、ヴァイオリン(ヴィオラ)の方に対しどう評価すべきか戸惑いを感じ、評価しませんでした。

#08、弦楽部門第2次予選きたろうの審査結果
$08東京音コン弦楽二次予選審査経過(4).jpg
本選出場者は、4名ですが、4名を明確に絞れず、当選者3名、当落線上2名を選びました。
その結果は、左のとおりですが、きたろうの評価は概ね的中しました。
大倉さんは良かったと思ったのですが、残念ながら選に漏れてしまいました。
※下半分ドレスのメモ
凝ったデザインのドレスの方のもののみメモしました。

#09、東京音楽コンクール弦楽部門第2次予選審査結果
$09東京音コン弦楽部門二次予選結果P722.jpg
大谷康子弦楽部門審査員長から発表&講評がありました。
 大谷さんのコメントで、「みなさん、レベルが高くて、その差は僅かでした。選に漏れた方も、決して悲観しないで、今後共はげんでください。本選進出が決まった方は、オケとの演奏では、思う存分個性を発揮してください。また、オケとのリハーサルを楽しんで、本番に臨んでください。期待しています。」とのことでした。

#10、本選出場者記念撮影
$10東京音コン弦楽二次予選通過者P720C.jpg
主催者側の公式記念撮影のあと、一般聴衆へ写真撮影の一瞬の機会提供があり、撮影させて頂きました。

右から、関朋岳(ともたけ)君(Vn)、有富萌々子(ありとみももこ)さん(ヴィオラ)、高木凛々子(りりこ)さん(Vn)、北田千尋(ちひろ)さん(Vn)
※お詫びと訂正 当初、本ブログをアップしたとき、北田さんと有冨さんを取り違えて紹介してしまいました。今回、上記のように訂正致しました

#11、参考情報等(ちらし裏面)
$11東京音コン弦楽部門審査方法概要.jpg


#12、審査員の先生方
$12東京音コン弦楽部門審査員.jpg
弦楽部門審査員長は、大谷康子さん
総合審査員長は小林研一郎さん

#13、14、プログラム表紙
$13B東京音コン二次予選本選プログラム (1)B表紙上半分.jpg

$14東京音コン二次予選本選プログラム (1)C下半分.jpg

#15、賞金、入賞者特典(ちらし裏面)
$15東京音コンちらし (2)B.jpg
本選は、今回選ばれた、4名の方が、オケと共演します。明日の8月29日(水)(18時開演)に行われます。
2次予選で、きたろうの審査では、#07のとおりの結果で、「本選でも、きたろうの評価のままで行くのか(1位高木さん?2位関君?)それとも逆転があるのか?」というところが、聴き所になります。

END
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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」( 夏46景)(その3)(完) [広重・名所江戸百景]

 名所江戸百景「鎧の渡し小網町」で広重の描いた視点と同視点から見た景色を写真に収めるというのが、本シリーズのテーマです。前回から、若干間が空いてしまったので、その1、その2を振り返って見ます。

#10、名所江戸百景「鎧の渡し小網町」広重の視点の解析
$10鎧の渡し広重の視点の解析完.jpg
#10の中央の絵及び右側の写真(ストリートビュー)はどちらも、小網町側から旧松平家の屋敷、または現東京証券取引所方向を見たものです。
 結局、この絵と写真の解析で、広重は、松平家の東の石垣の外、日本橋川・川岸の百本杭のところから描いたという結論に達しました。ただ、実際にこの場所に舟を浮かべて描いたというより、広重の得意とする、ありえない場所から想像で書いたものと思われます。

#11、広重の視点の解析(やや上流からの画像)
$11鎧の渡し広重の視点の検証5.jpg
広重の視点の解析で、#10に対し、やや上流から且つ、やや拡大した画像上に、桟橋に立つ女性と広重を合成した画像を作ってみました。
 きたろうが、この場所から写真を撮るということは、舟をチャーターしなければならず、きたろうには負担が大きすぎるので断念しました。と、ここで終わってしまったのでは、もやもや感が残るので、すでに登場していますが、Googleのストリートビューを利用し、現代版「鎧の渡し小網町」の視点を再現して見ました。

#12、「鎧の渡し小網町」広重の視点の再現
$12鎧の渡し小網町広重の視点ストリートビューで再現.jpg
この写真で、丁度、橋の欄干が水面で反射し虚像を作っているところ辺りが、旧鎧の渡しの舟の航路になっていると思われます。
 本シリーズでの広重の視点の再現を、きたろうの実写写真で再現するというのがモットーですが、今回は、ストリートビューの利用を余儀なくされました。
ここで、余興的に、広重の描いた、桟橋に立つ女性を、この写真の中に登場させて見ました。

#13、現代版鎧の渡し小網町
$13鎧の渡し現代と江戸融合(完).jpg
ありえない景色の再現ですが、意外と違和感を感じませんでした。
 今回は、登場した女性も川の景色も、きたろうの実写ではありませんでしたが、次回は、何とか実写で、広重の視点での画像を再現したいと思っています。

END


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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その2) [広重・名所江戸百景]

取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月19日(土)

その1では、「鎧の渡し小網町」を描いた広重の視点について疑問が沸いたと言う所で終了しましたが、それの続きです。
この#07の絵以外に、鎧の渡しを描いた絵がないか探したところ、なんと広重は40歳代に、「江戸百景・よろいの渡し」という絵を描いていることが分かりました。

#08、広重画「江戸百景・よろいの渡し」(1840年頃)
#08鎧の渡し広重の視点の検証2.jpg
この絵は、鎧の渡しを小網町側から、茅場町の桟橋方向を描いたものです。この絵を見ると、松平の屋敷の東の角のすぐ下流のところに桟橋があった様子がよく分かります。また、この絵の中で名所江戸百景の鎧の渡し小網町を描いた広重の視点及び視線を作図すると、赤の矢印のように推定されます。即ち、広重は、屋敷の石垣の護岸のための百本杭の辺りの川の中から描いたということになります。
この、#08の絵を写真で再現出来ないものか?ということで、Google Mapのストリートビューを探したところ、この地点を日本橋川を航行する船からのストリートビューがありました。

#09、鎧の渡しの茅場町側桟橋跡(ストリートビュー)
#09鎧の渡し広重の視点の解析.jpg
#02の地図及び#08の絵と#09ストリートビューの良く見比べると、当時の松平の屋敷と桟橋と日本橋川の関係は、その名残を今でも日本橋川の護岸のコンクリートの壁の形状に残しているのがわかります。
さて、「鎧の渡し小網町」の広重のありえない視点ですが、これは、広重では、特に珍しいことではありません。名所江戸百景の中には、高度10数mから数百mからの俯瞰で描かれたものが多数あります。広重は、ありえない位置から見た風景を描くのは、大変得意な画家で、恐らく、「鎧の渡し小網町」の、整列した倉庫群、日本橋川を行きかう舟、桟橋にたたずむ町娘を一枚の絵にしたとき、もっとも美しく描ける構図のために、どこから描くかとなったときの視点は、たまたま百本杭の前だったということと推定されます。
(その3に続く)
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第26回、広重・名所江戸百景「鎧の渡し小網町」(夏46景)(その1) [広重・名所江戸百景]

取材:平成30年(2018)7月16日(月・祝)
アップ:同、8月16日(木)

「鎧の渡し小網町」を取材した日は、近くにある、東京証券会館で行われる邦楽のコンクールを聞きに行くのを目的にしていました。そして、広重の「名所江戸百景・鎧の渡し小網町」のことは、家を出るときは全く念頭にありませんでした。しかし、会場近くに差し掛かったとき、この辺が、鎧の渡し小網町の舞台であるのを思い出し、急遽、邦楽コンクールの中学生の部の鑑賞を取りやめ、名所江戸百景の取材をすることにしました。
そんな訳で、デジカメも持っていなかったので、スマホで写真を撮ってきました。

#01、広重「名所江戸百景・鎧の渡し小網町(夏46景)」
#01広重鎧の渡し小網町夏46景.jpg
この絵は、1857年広重最晩年61歳のときに画かれました。前年(1856)には、ハリスが来航、また、翌年(1858)から安政の大獄が始まるという、激動の時代の幕開け的な時代背景の下で画かれたものです。
この絵は、夏の「鎧の渡し」を描いたものです。画面には、日本橋川を行きかう荷を満載にした複数の小舟、対岸小網町の倉庫群、空を舞う4羽の燕、桟橋で舟を待つ町娘等が書き込まれています。

#02、鎧橋(鎧の渡し)付近の今昔(地図対比)
#02鎧橋付近の今昔.jpg
この辺りは、 武家屋敷、下級武士の組屋敷、各種問屋の蔵などが混在していた地域で、日本橋川の水運に根ざした商業が盛んなところでし
#03、鎧の渡し小網町の今昔比較(画像対比)
#03鎧の渡し小網町今昔対比.jpg
さて、鎧の渡し小網町の絵の現代版写真の撮影ですが、広重の絵は、兜町から鎧の渡しをはさんで対岸の小網町の倉庫群を、上流から下流方向に斜めに描いたものです。
当日、鎧橋から上流方向及び下流方向数枚の写真を撮影し、この絵に一番合致するものを、#03の右側に示しました。
この写真の、撮影ポイントは#02の地図の③で撮影方向は南東(黄矢印)方向です。
※お詫び&訂正、前回8月16日アップ時、#02の地図に③の記載が漏れていました。今回(8月19日)③を記載したものを掲載し直しました。
(蛇足ですが、スマホの画質は、コンパクトデジカメの画質と同等またはそれ以上の画質を持っていました)

#03の、今昔対比で、メインの鎧の渡しは、鎧橋に変りました。橋の欄干の一部が画面左下に見えています。
対岸の、倉庫群は、現在では、花王グループの関連企業の建物に変っています。写真、画面奥の緑色の橋桁の橋は、茅場橋です。
残念ながら、燕及び町娘の姿は見当たりませんでした。

#04、鎧橋南詰めから鎧橋を望む
#04鎧橋南詰めから鎧橋を望む13時39分.jpg
鎧橋南詰め(西側)に、中央区教育委員会の史跡表示板があります。

#05、「鎧の渡し」史跡表示板
#05鎧の渡し表示板13時40分.jpg
ここには、鎧の渡しの歴史的なことが書かれています。
その文をそっくり下記に示します。

  鎧の渡し跡

所在地中央区日本橋小網町八・九番
日本橋茅場町一丁目一番・日本橋兜町一番

 鎧の渡しは、日本橋川に通されていた小網町と茅場町との間の船渡しです。古くは延宝七年(一六七九)の絵図にその名が見られ、その後の絵図や地誌類にも多く記されています。

 伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間(一○四六~五三)に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆浪にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだと言われています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。

 この渡しは、明治五年{一八七二)に鎧橋が架けられたことによりなくなりますが、江戸時代に通されていた渡しの風景は『江戸名所図会』などに描かれており、また俳句や狂歌等にも詠まれています。        

                     
 縁日に           
   買うてぞ帰る         
     おもだかも        
 逆さにうつる          
   鎧のわたし          
        和朝亭国盛      

 平成二十年三月     中央区教育委員会

******************

また、この表示板に、「江戸名所図会・鎧の渡し」も掲載されています。これを、拡大したものを次に示しました。

#06、江戸名所図会・鎧の渡し
#06鎧の渡し江戸名所図会13時40分.jpg
この絵は、広重の絵と同様、兜町(茅場町)側から、対岸小網町を描いたものです。広重の絵は例えば倉庫群など様式的に描かれているのに対し、江戸名所図絵では、蔵の屋号も描かれているいる等写実的といえます。

さて、ここで、鎧の渡しを描いた広重の視点を考えて見ました。


まず、#06江戸名所図会の絵で、桟橋のヘリに広重の絵と同様に町娘に立ってもらい、それを斜め後方から描けば、広重の鎧の渡しの絵と同様な絵が描けるはずです。
(#07参照)

#07、鎧の渡し広重の視点の検証(1)
#07鎧の渡し広重の視点の検証1.jpg
広重の絵では、広重の視点と町娘は、概ね5~6mははなれているように見えます。
ところが、#07の絵では、桟橋の幅は2mにも満たないような狭い桟橋で、はたして、広重はどこから町娘及び鎧の渡しを描いたのだろうという疑問が沸きます。
(その2に続く)

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オーボイスト Vol.4 荒絵理子さんリサイタル(新宿 ドルチェ楽器)2018/07/28(土)2:00pm開演 [演奏会]

わが町のクラシック会の輝けるスター、東京交響楽団の主席オーボエ奏者荒絵理子さんが、新宿でリサイタルを行うとのことで行って来ました。
取材日:2018年7月28日(土)2時pm開演、於アーティストサロン・ドルチェ(新宿) アップ日:同年8月4日(土) (※青太字→8月7日追記

#01、「オーボイストVol.4、荒絵理子」ちらし
$01荒上野ドルチェちらし.jpg
本リサイタルは、ドルチェ楽器主催の「オーボイストVol.4」という演奏会で、本リサイタルで演奏したオーボエ奏者が次の演奏者を指名して行くというリレー式の演奏会とのこと。
共演は、フルート:上野由恵(よしえ)さん、ピアノ:遠藤直子さん

#02、演奏会場、本ビル8階・ドルチェ楽器店内のホール
$02荒上野ドルチェ01.jpg
会場は、本ビルの8階、楽器店内のホールです。このビルは丁度新宿郵便局の向かいにあります。
台風12号が接近中とのことですが、このときはまだ風がやや強いかなといった程度でした。

#03、楽器店内、ホールの案内表示
$03荒上野ドルチェ04B2.jpg


#04、05、06、開演1分前の会場
$04荒上野1400.jpg

$05荒上野1400.jpg

$06荒上野1401.jpg
100名程の小ホールですが、くせのない響きのホールです。
(開演1分前、ほぼ満席でした。)

#07、演奏プログラム
$07荒上野プログラム00.jpg


#08、荒さんトーク
$08荒上野ドルチェ13B.jpg
今日は、イタリアの作曲家の曲(&イタリア的な曲)を吹こうということで、プログラムを構成しました。
当初、ピアノとオーボエだけで曲を探しましたが、該当する曲が少なく、急遽、フルートを編成に入れることにより、演奏曲が広がりました。
右:荒絵理子さん、左:上野由恵さん

#09、10、三人の熱演
$09荒上野ドルチェ13C(09B).jpg

$10荒上野180728_153246_1.jpg
オーボエとフルートは音域もほぼ同じで主旋律を吹く楽器のためか、オーボエ+フルート(+ピアノ)のアンサンブルは、きたろう自身もここ10年で1度位聞いたことがあるかなという程度です。
ただ、オーボエとフルートの音色は、一方が温かい郷愁のある音色で、フルートは、透明感があり、クリスタル的な音色と全く異なるため、変な競合が無く、良いバランスで響いていました。この、お二人は、東京六人組(木五+ピアノ)というアンサンブルの同メンバーで良く共演されており、息もぴったりでした。ピアノの方は、繊細な部分、ダイナミックな部分、リズミカルな部分と部分部分の各表情がはっきり、メリハリがある演奏で良かったです。(お姿が半分切れてしまいゴメンナサイ)
(8月6日追記・・・アンコール曲、曲名分かりました。「カッチーノのアベマリア」でした。)
#11、12、記念撮影
$11荒上野ドルチェ15.jpg

$12荒上野1602.jpg
素敵な笑顔です!!
素晴らしい演奏ありがとうございました(*^_^*)
左から、フルート:上野由恵さん(日本音楽コンクール1位)
、オーボエ:荒絵理子さん(東京交響楽団主席、日本音楽コンクール1位)、ピアノ:遠藤直子さん(ドルチェ東京ミュージックアカデミーピアニスト)

#13、サインを完全ゲット
$13荒上野プログラム0.jpg
全員からサインを頂きました。
サインもありがとうございました(*^_^*)

END





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