So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の10件 | -

第25回(下)、広重・名所江戸百景「市中繁栄七夕祭」(秋73景)その2 [広重・名所江戸百景]

今回は、前回「広重名所江戸百景・市中繁栄七夕祭(その1)」の補足的な記事です。

#00、名所江戸百景・市中繁栄七夕祭(広重画)
%00広重市中繁栄七夕祭ブログ用圧縮.jpg
「市中繁栄七夕祭」は、京橋の広重の住居から、富士山を画面の中心において七夕祭り時の江戸の家並みを描いたものです。この絵の、現代版の写真での再現は、京橋の広重住居跡から、富士山を撮影することは困難でずっとあきらめていました。
前回の市中繁栄七夕祭は、銀座シックスからの眺望を、広重住居跡からの眺望の代替地として(注)、現代版「市中繁栄七夕祭」にしようと試みたものです。

注)現代版「名所江戸百景」の再現は、広重と全く同じ視点では不可能なケースが多々あります。その場合は、広重の実際の視点の近辺で、似たような代替地での再現を本シリーズでは行っています。ちなみに、市中繁栄七夕祭の広重の実際の視点と、代替地銀座シックスは、約1.2km離れていますが、両者の町並みの感じは、江戸時代も現在も良く似ていると考えられます。

◆市中繁栄七夕祭の視点
市中繁栄七夕祭は、広重の住居の2階(または物干し台)から見た、江戸の町並みとはるか遠くにある富士山を描いたものです。
当時、江戸のほとんどのところから、富士山は見えました。富士山を、自宅から眺めるため、自宅に物干し台を作ることが、一寸裕福な家の間で流行しました。

#01、広重の住居付近の切絵図
%01広重住居近辺切絵図(現在の交差点名入り)B.jpg
◆切絵図に画かれた広重の住居
 広重は、53歳から62歳で亡くなるまで、京橋の大鋸町というところに住んでいました。(1849~1858)(注)
最晩年の61歳(1857)のとき、市中繁栄七夕祭を描きました。
#01の切絵図に広重の住居が明示されています。御用絵師「狩野永徳」の屋敷の隣に住居を構えていました。
切絵図では、武家屋敷や神社仏閣については、その名前を明示していますが、一介の町絵師である、広重の住居が切絵図に明示されるということは、異例のことで、当時、広重の人気がいかに高かったかを物語っています。
注)この切絵図は、1863年版で、広重は既に亡くなっています。恐らく、二代目広重がそのまま住居を引き継いだものと思われます。
注)広重晩年の時代背景
広重が、京橋に住んでいた頃の日本は、1853年にペリーが来航し、広重が亡くなって2年後の1860には、「桜田門外の変」がおこるという、日本が激動に向いつつある正にその頃でした(名所江戸百景ではそのような雰囲気は全く見受けられないが・・・)

#02、広重住居跡周辺の地図(現在)
%02京橋YAHOO!地図B.jpg
切絵図に示された、広重の住居は、現在で言うと、中央区京橋一丁目9番地に相当します。
銀座シックスでの撮影後、この、広重住居跡を訪れました。そこは、現在工事中でした。「全国信用協同組合連合会新本部」のビルが建つとのことでした。

#03、広重住居跡・工事中1
%03広重住居跡①P013D.jpg


#04、広重住居跡・工事中2
%04広重住居跡②P016C.jpg
※画面中央の茶色の張り紙のようなものに注目

#05、広重住居跡表示板1(コピー=紙)
%05広重住居跡③P017B.jpg
その張り紙は、以前ここにあった、中央区教育委員会の「広重住居跡」を示す金属製の表示板のコピーでした。

#06、広重住居跡表示板2(金属製)
%06広重住居跡④P734C.jpg
以前(2014/5/6)撮影した中央区教育委員会の「広重住居跡」の表示板(金属製)。
 ここに、広重住居跡の表示板のコピーが貼ってあるということは、ここのビルが完成した暁には、また、広重住居跡の表示板が復活するということで理解しました。

#07、広重住居跡(過去の写真)
%07広重住居跡⑤P735B.jpg
広重住居跡の全体的な写真を、自身では撮影していなかったので、ネット上で探したところ、この写真が見つかったので、転載します。
過去のこのビルには、東証コンピューターシステムの総務部などが入っていました。

#08、広重住居跡から南南西方向を望む
%08広重住居跡から南南西方向の眺望P021B.jpg
参考まで、広重住居跡の前の道路から、道路の延長線方向(南南西)を撮影しました。地図#02に示したように、富士山の方向は「青矢印」の方向で、道路は赤矢印方向に伸びているので、ここから富士山を撮影するのは、ドローンでも使わない限り、不可能でした。

#09、宝町歩道橋から南南西方向を望む(昭和通)
%09宝町歩道橋からの眺望P023C.jpg
同様に、広重住居跡の近辺で、少しでも高いところから撮影して見ようということで、宝町歩道橋の上から南南西方向を撮影しましたが、やはりここから富士山が見える可能性はほぼゼロでした。
 このようなことで、広重住居跡から市中繁栄七夕祭の現代版の写真の撮影は諦め、銀座シックスからの写真で代用しようと目論んでいます。
END



nice!(17)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

第25回(上)、広重・名所江戸百景「市中繁栄七夕祭」(秋73景)その1 [広重・名所江戸百景]

2018年7月4日(水)取材
同7月8日アップ
題名改定:同7月13日(題名に(上)、(その1)を追加した)

ブラタモリトレース・二子玉川シリーズの途中ですが、急遽、七夕に関するブログをアップします。
 現在、12時を回ってしまいましたが、7月7日は七夕祭でした。
江戸時代にも、七夕祭りは行われ、約160年前、歌川広重も、「名所江戸百景」シリーズの中で、「市中繁栄七夕祭」を画いています(#01画面左)。この絵は、広重の住居の物干し台からの眺めを画いたとのこと。
 さて、例によって、広重と同一視点から写真を撮り、広重の絵と、現在の写真を比較するという試みをしました。

#01、広重画・市中繁栄七夕祭と銀座シックスから富士山方向の眺望
#01広重市中繁栄七夕祭新旧比較.jpg
広重の住居は、東京都中央区京橋1-9ということが判っています。
ところが、この近辺から、富士山を撮影することは困難で、この近辺で、一般人が、立ち入れる高い場所を探しました。銀座シックスの屋上が一般開放されているということで、あらかじめ撮影して来ました(7月4日)。
残念ながら、この日は、富士山は見えませんでした(#01画面右、但し、この写真の富士山は作図です)。
この、写真は、銀座シックス屋上の新橋寄りのところから、西南西方向を撮影したものです。

#02、銀座シックス屋上から南西方向の眺望
#02P1210002C.jpg
※青矢印のところに、富士山が見えるはずである。

銀座シックスから富士山の撮影は、大気がクリアーなときに、再度試みたいと思います。
END



nice!(19)  コメント(3) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ブラタモリトレース・二子玉川(その2) [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同7月6日(金)アップ

次に、ショッピングセンター(高島屋)の、開発時のニュース画像やこぼれ話などが披露されましたが、この間、建物内で番組は進行し、ブラタモリトレースとしては、取り上げにくいので割愛いたします。

次に、タモリさん一行は、多摩川の河原にやって来ました。ここで、二人目の案内人が登場しました。

#14、多摩川の河原にて(二人目の案内人=向谷さん登場)
$14向谷さん登場P375C.jpg
※向谷さん:画面左

◆向谷さんのプロフィール
戸田恵子ナレーター:「向谷さんは、二子玉川出身のミュージシャンで、フュージョングループ カシオペアのキーボード奏者として活躍してきました。大の鉄道ファンでタモリさんとは鉄道仲間です。
実は向谷さん生まれも育ちも二子玉川なんです。」

◆「二子玉川」という名称の誕生のいきさつ(説明:向谷さん)
久保田アナ:「なんかニコタマ、ニコタマってしごく最近よく聞きますけど」
向谷さん:「ニコタマとはそんな昔言ってなかったですね。(僕は、ここの出身なんですが)ニコタマって最初聞いてなんだソレって・・・。
僕 出身が二子玉川小学校なんですけど二子玉川って地名はなかったんですよ。だいたいこの辺は玉川何丁目って言ってたんですけど、この川を渡った神奈川県に二子村(現・川崎市 二子)って言うのがあったのかな?。こちらが玉川村で(現・世田谷区 玉川)それが一緒になって二子玉川っていう、ま~一つの俗称?ということです。」

◆向谷さんの「二子玉川」という名称の誕生のいきさつは、音声ファイルでもお聞きください。
%03.音声ファイル:二子玉川という名称の誕生のいきさつ


#15、多摩川河原(きたろう実写)
$15多摩川河原実写00B.jpg
※本写真は、地点C1から撮影。タモリさん一行は、この画面よりもっと川寄りの方でお話をしていました(地点C2)。

#00、ブラタモリトレース行程図
$00二子玉川散歩実績(正).png


◆タモリさん一行は、河原から、市街地のほうへ移動(地点Dへ)

#16、川から約50m離れたところにある謎の土手
$16川から50mのところにある土手P376B.jpg
※本画像右側約50m先が多摩川(河原)。画面奥が、二子玉川駅の方面です。

◆謎の土手発見
久保田アナ:「これ土手なんですか?」
タモリさん:「これは昔っからあった?」
向谷さん:「そうですね僕も子供の頃からもうここに土手ありましたね。」
タモリさん:「これおかしいよね?」
久保田アナ:「でもここ道路ですよね?」
タモリさん:「これなんだろう?自然堤防でもなさそうだよね」
久保田アナ:「ですね、階段もついてますし・・・」


#17、謎の土手上で、土手の吟味は続く
$17謎の土手上にてP377B.jpg

タモリさん:「なんだろうねこれは?」
向谷さん:「多摩川、結構多いですよね、長いから、あっちの下の方にもあるし、こっち
       にもあるし」
久保田アナ:「ちょっと土手らしくピクニックされている方も、いらしゃいますし(笑)」
タモリさん:「もっと川沿いにあるなら話はわかるけど。なんだろう これ?」
向谷さん:「ちょっと謎ですね」
久保田アナ:「いざという時役に立たないですよねこれ」
向谷さん:「そうですね(苦笑)」

#18、謎の土手上から(きたろう実写)
$18謎の土手実写03.jpg
※地点D=玉川3-5-3(画面左端の紺色の看板の店(居酒屋)の住所)

#19、俯瞰撮影・・・多摩川と謎の土手との間にマンションが立ち並ぶ
$19土手の俯瞰撮影P379.jpg


#20、大正13年の地図
$20玉川古地図P384.jpg

◆謎の土手が出来た理由
戸田ナレーター:「多摩川沿いにはマンションが立ち並んでいます。土手があるのは川からおよそ50m離れたこの場所。これじゃあ川が氾濫した時水に浸かってしまいますよね~
 不思議な土手ができたわけ、それは大正13年の地図の中にありました。現在マンションが並ぶ一角を見てみると料亭街が広がっています。
 氾濫の多かった多摩川沿いにはこの様に堤防を作る計画が持ち上がりました(古地図、川沿いの赤の線)。
しかし川の景観を売りにする店からは反対の声も多く挙がりました。」

シャリ~~ン(効果音)

「その結果、この様に堤防は川から離れた現在の位置に(緑の線)造られる事になったんです。」

この説明は、音声ファイルでもどうぞ・・・

%04、音声ファイル:謎の土手が出来た理由(戸田ナレーター)


◆次に、タモリさん一行は、一軒だけ残っている、老舗の料理屋にやって来ました。

#21、一軒残る老舗の料理屋(やなぎや)
$21老舗料理屋やなぎやP387.jpg


#22、やなぎや正面入口(きたろう実写)
$22Bやなぎや実写04.jpg
※やなぎや・・・玉川3-25-15

◆タモリさん達は、女将に出迎えられ店内に入りました。

#23、和のスイーツセットを食すたもりさん達
$23P1200399.jpg
右端・・・女将:西尾順子さん
女将は、このスイーツをお茶菓子と称していたが、実際は、多摩川をイメージした10数種から成る、和スイーツの豪華な盛り合わせであった。

◆女将は、昔の写真をタモリさんたちに披露した。

#24、昔のやなぎやの写真
$24やなぎや古写真P397B.jpg
※この、写真が何時頃かの説明(テロップも含め)はなかった。

◆女将から土手に関する話を聞く
タモリさん:「創業何年くらいになるんですか?」
女将:「天保2年(1831年)でございます。これ、昔の古い写真なんですけど・・・」
久保田アナ:「うわぁ~貴重なものですね!」
向谷さん:「これ川沿いだ、本当に。」
久保田アナ:「舟を浮かべて・・・」
女将:「そうですね、舟遊びをされていたようです。」
久保田アナ:「どういう方がいらっしゃるんですか、お客様は?」
女将:「そうですね~、天保年間の時には徳川様がお見えになりました。」
久保田アナ:「あの徳川様!」
向谷さん:「他に徳川様はいない。」
一同笑い
久保田アナ:「ここに来る途中に道路の真中に土手があったんですが(あれは、何なんですか?)」
女将:「土手ですね、ほんとはもっと川側に造らなければいけないんですけど、お料理屋さんの景観が悪くなってしまうのでお料理屋さんが皆さんで料理屋の外側に土手を造ってくれという事で、もう私達はどうなってもいいから・・・・」
一同笑い

#25、古写真・・・料理屋から多摩川方向眺める女性二人(芸者?)
$25古写真やなぎやからの眺望P400B.jpg
女将:「私たちは水で流されてもいいから、この景観を残しておきたいという事で・・・」
タモリさん:「結局、料理屋は流されたことはないんですね?」
女将:「流されたことはございません、(他の料理屋さんは)みんなお辞めになりましたけど・・・」
久保田アナ:「あ~~~」

◆「女将から土手に関する話を聞く」は音声ファイルでもどうぞ・・・
%05、音声ファイル


#26、現在の多摩川河原(ストリート・ビュー)
$26ストリートビュー多摩川河原P400ウ.jpg

(続く)
nice!(14)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ブラタモリトレース・二子玉川(その1) [散歩会]

2018年6月17日(日)取材
同7月3日(火)アップ

大変、ご無沙汰しております。
ちょっと間が空きましたが、また、ブラタモリトレースを企画し実施しましたので、ブログ・アップ致します。

※お詫び
前回の「ブラタモリトレース・神宮外苑」は、全3回シリーズ予定のところ、2回で中断してしまい、大変申し訳ございませんでした。お詫び致します。

さて、今回は、NHKの番組「ブラタモリ」シリーズの第3回目に放送された「二子玉川」に焦点をあてました。本番組は2009年(平成21年)10月15日に放送され、2010年10月22日に再放送されました。(本ブログは、再放送の画像を使用しました。また、アナログVTRで録画したものからの画像ですので、不鮮明な画像であることをご了承ください。)
 
#00、ブラタモリトレース・二子玉川の地図(計画&実績)
$00二子玉川散歩実績(正).png

番組のロケ地は
①巨大ショッピング・センター
②古写真に写された場所(#00地図の地点B)
③多摩川河原
④川から離れた場所にある謎の土手
⑤一軒残る、老舗の料理店
⑥廃止された玉川電気鉄道の名残の構造物(鉄道柵)
⑦同電停「中耕地」の跡地
⑧蕎麦屋・大勝庵(玉川電気鉄道グッズ収集家)
⑨行善寺
ですが、①ショッピング・センターと⑨行善寺、は取材を割愛しました。
また、⑤の老舗の料理屋については、店の前の通過に留めました。

#01、ブラタモリ 二子玉川 オープニング画面
$01P1200345B1.jpg

オープニング・テーマ曲(音声ファイル)


#02、タモリさんと久保田アナが二子玉川降り立つ(TV画像)
$02P1200348.jpg
タモリさん達が、電車で二子玉川駅に来たとは思えませんが、タモリさん久保田アナが二子玉川駅に降り立ち、西口から出てくるところから番組が始まりました。この後すぐに、二子玉川駅前の再開発の映像に変り、当時(2009年)再開発の真っ最中であるのが紹介されました(駅舎も改装中)。
ついで、タモリさんは、ほとんど二子玉川に来たことが無く、興味もあまりないというのに対し、久保田アナは、二子玉川はおしゃれで素敵な街であるという認識を持っていることが発覚しました。

注)以下、TV画面の写真は、青い枠で囲んで示し、「(TV画像)」の表示は割愛いたします。

#03、現在(2018年6月)の二子玉川駅西口(きたろう実写)
$03鎌倉会二子玉川38C.jpg
駅舎はメタリック調の外装にリニューアルされました。

#04、多摩川河原
$04P1200348C.jpg



多摩川に架かっている鉄橋は、東急田園都市線の鉄橋です。画面左方が二子玉川駅方面、画面右の先が溝の口方面です。
(※見える川面は、厳密には多摩川の支流の野川か?丁度この付近で合流するので、微妙なところです。)

本画面を皮切りに、二子玉川交通アクセス図、多摩川の空撮映像、駅前巨大ショッピングセンターの映像が示され、それに合わせて戸田恵子さんが、二子玉川の概要説明をナレーションしました。

二子玉川の概要(ナレーション:戸田恵子さん)(音声ファイル)


次に、ショッピングセンター内を歩くタモリさんと久保田アナの場面になります。タモリさんは、ショッピングセンターには全く興味を示さないまま番組は進行しましたが、ここで一人目の案内人の方が登場したとたん、タモリさんはがぜん、ブラタモリのスイッチが入ったようです。

#05A、一人目の案内人松沢邦光さん(画面右)
$05P1200354A.jpg
松沢邦光さん:ショッピングセンター開発時の現場責任者。この辺一帯の、地権者一軒一軒と交渉を続けているときに、この辺の写真を撮影、現在まで大切に保管していたとのこと。

#05B、開発時撮影した写真の場所と同一場所との新旧比較
$05P1200354B.jpg
久保田アナ:「この辺で、同じポジションが判る場所がありますか?」
松沢邦光さん「今、この角が、この写真の場所です。」
タモリ:「ここは、何があるんですか?」
松沢さん:「砂利置き場!」
久保田アナ:「砂利置き場!!ハー!?」

#06、かつて「砂利置き場」だった交差点の北西の角(現在)。
$06P1200358完.jpg


#07、同上場所の昭和38年の写真
$07P1200355完.jpg


#08、同上、北東の角(現在)
$08P1200356完.jpg


#09、同上場所の昭和38年の写真
$09P1200364完.jpg
タモリ:「世田谷じゃないですね」
松沢さん:「全然違います。」
タモリ:「ものすごいド田舎です。これを見せて、昭和38・39年頃の世田谷とは誰も思わないです。」
久保田アナ:「分からないですね、本当に。」

#10、古写真の現在の場所の解析(地図)
$10古写真撮影場所と方向.png


現地で、古写真の撮影場所は、#10の「地点A」と思い、写真を撮りました。

#11、地点Aからの眺め(現在)きたろう実写
$11鎌倉会二子玉川28F.jpg
しかし、この写真では交差点の左の角の建物が全く違うことや空中連絡通路の数が、ビデオでは1本に対し、撮影した写真では3本もあり、ここでは無いことが判りました。

帰宅後、ビデオを見返したところ、タモリさん、松沢さんの後方に野村證券の赤い看板がある(#05A、#05Bにも写っている)のをヒントに、GOOGLE MAPのストリート・ビューで付近を探索したところ、#10の「地点B」がその場所であると判明しました。

#12、旧砂利置き場の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
$12鎌倉会二子玉川30ア完.jpg


#13、旧田園風景が広がっていた所の現在の画像(GOOGLE MAPのストリート・ビュー)
$13鎌倉会二子玉川ウ完.jpg

<続く>


nice!(16)  コメント(2) 

さかはし矢波さん(Fl.)福田素子さん(Pf.)アフタヌーン・クラシック・コンサート、2018年5月19日(土)、於:市川市東部公民館 [演奏会]

2018/05/19(土) 演奏会取材
2018/05/21(月) ブログ・アップ

市の公民館で、春と秋に行っている主催講座で標記のコンサートが取り上げられ受講して来ました。
講座と称していますが、内容は、一般的なコンサートです。
講師(演奏者)の方は、東京フィルハーモニー交響楽団のフルート奏者・さかはし矢波さんと市川市・栃木市等で活躍されているピアニストの福田素子さんです。(詳しくは、末尾のプロフィールを参照してください)

#01、公民館で行うフルート・ピアノのデュオ コンサート(市川市東部公民館)のポスター
$01さかはし矢波・福田素子・庭P47.jpg
※合成写真です。背景は、演奏会場の市川市東部公民館(前庭)です。

続きを読む


nice!(27)  コメント(0) 

荒絵理子さん、1stアルバム発売記念・オーボエリサイタル鑑賞記、2018/5/10(19:00START)、サントリー・ホール(小ホール) [演奏会]

2018年5月10日(木)取材
同5月12日アップ
我が市のクラシック界の星・東京交響楽団・主席オーボエ奏者の荒絵理子さんが、1stアルバム発売記念のリサイタルを開くということで、聴きに行きました。

#01、荒絵理子さんオーボエ・リサイタルのちらし
#01荒絵理子リサイタルちらし.jpg
◆2018年5月10日(木)19時開演、会場:サントリー・ホール(小ホール)
演奏曲は、CDに収録した作品演奏とほぼ同じ。

続きを読む


nice!(23)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

第23回、広重・名所江戸百景、「王子音無川堰捸(おとなしがわいせき)」(春19景)&第24回「王子滝の川」(秋88景) [広重・名所江戸百景]

2018年3月28日取材/4月20日アップ

「広重の名所江戸百景」は、きたろうSO-NETブログの中心的ブログですが、本テーマでのアップは3年振りです。(本テーマでのアップは、2015年4月29日「亀戸天神の藤」以来中断)

 さて、今年の花見は、広重が桜を画いた場所を訪問し現在の状況を撮影・記録することと致しました。
まず、平成30年3月28日、名所江戸百景の内、春19景「王子音無川堰捸(いせき)」の舞台となった王子駅近辺を訪問しました。
#01、広重・名所江戸百景、「王子音無川堰捸(おとなしがわいせき)」(春19景)
$01赤丸①広重王子音無川Dブログ用.jpg
音無川とは、石神井川の下流、王子神社の付近では、音無川と呼ばれていました。
 この辺りに堰(せき)が作られており、#01の絵のように滝が形成されていました。この滝は、大滝と呼ばれていました。この絵の左奥のもえぎ色の山は、飛鳥山です。
滝の、すぐ下にいる3人は、恐らく修行のために滝で身を清めていると思われます。下流の4人は、修行では無く、また別の目的で川の中に入っていると推定されます。

#02、地図1、(王子駅、飛鳥山、金剛寺、滝の川橋)
$02王子音無川滝野川MAP.jpg
この絵が画かれた場所ですが、地図1の①の場所から、西方を画いたものと思われます。その根拠は、この堰が、文献で王子神社の下あたりにあったということと、絵を見ると川が上流から下流にかけて右にカーブしているので、丁度この場所が該当するからです。

手持ちの、文献で、この大滝のイメージと一致する写真を#03の示しました。

#03、大滝のイメージに合致する古写真
$03滝野川古写真「古写真で見る 江戸から東京へ」より.jpg
但し、この写真の標題は「滝野川」(注)となっているので、この大滝ズバリかどうかははっきりしません。
注)滝野川・・・音無川の上流部は滝の川と称されています。

この絵と同じ、現在のビューポイントで撮影した写真を#04に示しました。

#04、王子駅・親水公園口から親水公園方向を望む
$04王子駅親水公園口からの眺めP308.jpg
この写真では両岸に建物が建っているのでわかりませんが、左手は飛鳥山、右奥が王子神社で、この絵の場所であるのは、ほぼ間違いないと思われます。この写真は、王子駅親水公園口を出たすぐのところから撮影しました(#05)。

#05、王子駅親水公園口
$05王子駅親水公園口P309.jpg
また、この場所を明治10年代に撮影したと思われる古写真を#06に掲載しました。

#06、王子の茶屋・明治10年代
$06王子の茶屋(古写真).jpg
北区は、この一帯を、親水公園として、昭和63年までに整備しました。

#07、現在の親水公園(地図1のポイント②)
$07青丸②王子親水公園P311.jpg
公園内は、花見客で賑わっていました。
親水公園と称している割には、水の流れはあまり見えません。
この事業の経緯を書いた説明板が、設置されていました。

#08、「音無親水公園」整備事業の説明板
$08音無川親水公園説明文P315.jpg

説明板の内容
音無親水公園
 音無川のこのあたりは、古くから名所として知られていました。江戸時代の天保七年に完成した「江戸名所図会」や、嘉永五年の近吾堂板江戸切絵図、また、安藤広重による錦絵など多くの資料に弁天滝、不動の滝、石堰から落ちる王子の大滝などが見られ、広く親しまれたことがわかります。
 「江戸名所花暦」「遊■雑記」などには、一歩ごとにながめがかわり、投網や釣りもできれば泳ぐこともできる、夕焼けがひときわ見事で川の水でたてた茶はおいしいと書かれており、江戸幕府による地誌、「新編武蔵風土記稿」には、このあたりの高台から眺めについて、飛鳥山が手にとるように見え、眼下には音無川が勢いよく流れ、石堰にあたる水の音が響き、谷間の樹木は見事で、実にすぐれていると記されています。
 こうした恵まれた自然条件をいまに再生し、後世に伝えることを願って、昭和六十三年、北区は、この音無親水公園を整備しました。
         
     たきつせの絶えぬ流れの末遠く
         すむ水きよし 夕日さす影
               飛鳥山十二景のうち
                  滝野川夕照より
                
  昭和六十三年三月   東 京 都 北 区
注)■・・・判読不能

さらに、桜を求め、上流に向かいましたが、親水公園を過ぎると川の両岸に塀が設置されていて、川の水面が見えない状態が続きました。

#09、王子本町1-2付近(地図1、赤丸ポイントからの眺め)
$09王子本町1-2付近(ストリートビューより).jpg
※ストリービューの画像です。

#10、王子本町1-5付近(地図1ポイント③)
$10青丸③滝野川(王子本町1-5付近)P317.jpg
この辺りでやっと、川面に懸かる桜が見られるようになります。

#11、紅葉橋から金剛寺を望む(地図1ポイント④)
$11青丸④P323紅葉橋から金剛寺を望む.jpg
金剛寺は、通称紅葉寺と称され、この付近かかる橋も、もみじ橋と名づけられています。

#12、名所江戸百景「王子滝の川」(秋88景)
$12赤丸⑤広重王子滝の川原図.jpg
広重は、秋の景色として、この辺りを画きました。
石神井川の上流から下流方向を見た景色です。石神井川はこの辺では、滝の川と称されます。画面右の滝は、弁天の滝ですが、現在はありません。画面右上、朱色の建物が金剛寺です。

#13、金剛寺と桜(ア)(地図1ポイント⑥)
$13青丸⑥金剛寺の桜アP325.jpg
金剛寺の対岸(滝野川4-3)からの眺め。

#14、金剛寺と桜(イ)(地図1ポイント⑦)
$14青丸⑦金剛寺の桜イP326.jpg
金剛寺は秋の紅葉が有名であるが、春の桜も見事です。
今年は、桜の開花が早く、まだ3月28日というのに、桜はちりはじめており、川面が花筏状態になっていました。

#15、滝の川4-8付近から下流方向を望む
$15青丸⑧滝野川橋付近より下流方向P329.jpg
滝の川橋近くのポイント⑧からの眺め。石神井川もこの近辺では、滝の川と称されます。

#16、滝の川橋親柱
$16滝野川橋親柱P330.jpg


#17、滝の川橋から上流方向を望む
$17青丸⑨滝野川橋より上流方向P327.jpg
ここでUターンをして、次の桜の名所に向かいました。
(続く)

※お詫び
きたろうの、根気の無さで、前回の「ブラタモリトレース・神宮外苑」はその2で中断したままになっています。機会をみて、再開致しますのでご了承ください。

nice!(22)  コメント(3) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ブラタモリトレース神宮外苑・聖徳記念絵画館編(その2) [散歩会]

ブラタモリトレース・神宮外苑・聖徳(せいとく)記念絵画館編の続きです。
ここで、遅くなりましたが、今回のブラタモリトレース(きたろう散歩会)を行なった所の地図を示します。


#10A、ブラタモリトレース・外苑前半の地図
#10Aブラタモリトレース1(外苑=信濃町→絵画館→新国立競技場→水明亭)).png
立ち寄り箇所①聖徳記念絵画館→同②新国立競技場→同③水明亭(長崎チャンポンの店)
※今回のブラタモリトレースで巡ったスポットの順序と「ブラタモリ・外苑」の番組で巡った順序とは異なります。

#10B、聖徳(せいとく)記念絵画館・副館長がお出迎え
#10聖徳記念絵画館.jpg
副館長(高橋京子さん):「(この建物は)重厚な建物なので、皆さん、この大きい階段を登るのに躊躇されることが多分あると思います。皆様はどうですか?」
タモリ:「立ち入り禁止だと思っていました。」
※ブラタモリの画面はVHS方式で録画したものからの写真なので、画質は悪いです

#11、タモリさん一行、絵画館へ入館
#11聖徳記念絵画館.jpg
副館長:「どうぞ、今日は寒いので(注)・・・」
久保田アナ:「失礼しま~す」
タモリ:「重厚ですね!」

注)この番組の放送日は平成24年3月29日ですが、番組のロケは2月14日または2月16日と思われます(推定根拠は、鳩森八幡宮の編で説明します)。 この日は、両日とも、寒い日(それぞれ最高気温が6.9℃、5.6℃)冷たい雨が降った日でした。


#12、タモリさん一行、中央ホールを鑑賞する!
#12ブラタモリトレース絵画館編.jpg
副館長:「ここは、本当にすばらしいでしょ(*^_^*)」
タモリ:「すごいね!」
副館長:「皆様お立ちになっているところから、上までは、約28mあります。」
タモリと久保田アナ(同時に):「へ~~!!」

#13、中央ホール・音の反響
#13ブラタモリトレース絵画館編.jpg
久保田アナ:「声がよく響きますよね!」
副館長:「小さい声でそおっと話さないと、『ワワワワ~』っと響きます。」

#14、中央ホールのブラタモリトレース(=きたろうの実写)
#14ブラタモリトレース絵画館編..jpg
ナレーター:「昨年(2011年4月)重要文化財に指定されたこの建物、当時最先端の技術とデザインで造られています。様々な色の大理石で造られた中央ホールは19世紀末、ウイーンで始まった『セセション様式』を取り入れたもので、直線が多いのが特徴です。
 ステンドグラスから入ってくる柔らかな光も当時としては斬新なものでした。」

#15・16、タモリさんの興味は、絵画より化石?
#15ブラタモリトレース絵画館編.jpg
#16ブラタモリトレース絵画館編.jpg
タモリ:(壁面の説明表示を見て)「オッ!」
久保田アナ:(同上表示を見て)「マーチソニア?」
タモリ:「マーチソニア。アッ!、これね!」

#17、絵画館の壁面にある、「マーチソニア」の化石
#17ブラタモリトレース絵画館編.jpg
ナレーター:「タモリさん、この大理石の壁に何やら発見したのは化石です。実は、絵画館の壁では様々な化石を発見することが出来るのです。 化石の入った黒い大理石は、美濃・赤坂産の大理石に見つかることが多いそうです」

#18・19、(引き続き)タモリさん化石探索
#18ブラタモリトレース絵画館編.jpg
#19ブラタモリトレース絵画館編.jpg
タモリ:「ありそうだな・・・」、「ん!これ、そうでしょう!」
副館長:「これ、そうですね」
久保田アナ:「点々が・・・」

#20・21、壁面の化石(フズリナ)
#20ブラタモリトレース絵画館編.jpg
#21ブラタモリトレース絵画館編.jpg
ナレーター:「発見したのは、フズリナという生物の化石でした」

#22、きたろう一行「壁面の化石のブラタモリトレース」
#22ブラタモリトレース絵画館編.jpg
きたろうのコメント:番組でタモリさんが発見した壁面の化石を見ようと、当該の階段の所に胸躍らせながら行きました。
すると「残念!」ご覧のとおり、「立ち入り禁止」となっていて、化石を確認することは出来ませんでした(反対側の階段も同様)。
壁面・化石のブラタモリトレースは空振りでした。

#23、タモリさん一行、絵画展示室(日本画)へ入る
#23ブラタモリトレース絵画館編.jpg
ナレーター:「さて、建物の本題に戻りましょう。ここには、明治天皇の生涯と業績画いた日本画と洋画、計80点が飾られています。
これらを展示するために造られたのが絵画館なんです。」

#24、「大政奉還」を画いた絵の前で
#24ブラタモリトレース絵画館編.jpg
副館長:「これ、よく教科書に大政奉還というとこの絵が出てきます。 思い出すでしょ?」
タモリ:「大政奉還というとこれですね。想いだします。」
久保田アナ:「教科書で見ました・・・」

#25、「大政奉還」の絵
#25ブラタモリトレース絵画館編.jpg
ナレーター:教科書でお馴染みの「大政奉還」の図。
二条城で第十五代将軍・徳川慶喜が京都にいた重臣を招集し、政権を朝廷に返すことを決定した状況が細かく画かれています。

きたろうコメント:徳川代々の将軍の中で、最も人気の無い・・・というより、腰抜けとか、裏切り者といった批判もある慶喜ですが、大政奉還の図に画かれた慶喜は凛とした気品のある顔立ちで、立派な方と思えました。慶喜に対する批判は見当違いではないのかな?と認識を改めさせられるような絵でした。

絵画館のメインの部分である、絵の展示室内は当然撮影禁止ですので、ブラタモリトレース(きたろうの実写)はありません。

この後、約1時間、絵の鑑賞をして、絵画館から退出しました。

#26、絵画館から退出(きたろう実写)
#26ブラタモリトレース絵画館編.jpg
ブラタモリトレース・絵画館編はこれでENDです。
次は、(新)国立競技場、水明亭です。
(続く)



nice!(35)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ブラタモリトレース神宮外苑・聖徳記念絵画館編(その1) [散歩会]

きたろうが、幹事を努めている散歩会で、NHKの番組「ブラタモリ」でタモリさん一行が歩いた跡をそのままトレースするという安易な企画の散歩会を実施しました。(平成30年2月11日)
 今回は、平成24年(2012)3月29日放送の「ブラタモリ・神宮外苑」を採り上げ、その足跡を辿りました。

#01、青山通りにある、「明治神宮外苑」の看板
#01ブラタモリトレース絵画館編01.jpg
この看板の先が、明治神宮外苑になります。(写真=番組より)

#02、タモリさんと久保田アナが外苑にやってきました
#02ブラタモリトレース絵画館編02.jpg
タモリ:「『ブラタモリ』久しぶりの雨になりました。(今回は)外苑に行きます。
そういえば、昔、『♪雨の外苑~~~』という歌(※)がはやりました・・・」
久保田アナ:「じゃ(今日は)、ぴったりじゃないですか」
(※:『東京の灯よいつまでも』(昭和39年)新川二郎

#03、明治神宮外苑全景
#03ブラタモリトレース絵画館編03.jpg
※画像は番組より。明治神宮等の文字は、その画像にきたろうがレタッチで書き込。

今回、タモリさん一行は、聖徳記念絵画館、国立競技場等をぶらぶらしました。

#04、神宮外苑誕生のヒミツ!
#04ブラタモリトレース絵画館編04.jpg
ナレーター(戸田恵子):明治神宮が作られるときに、一緒に、美術館や運動場も作って欲しいという要望が多数持ち上がり、明治神宮から、一寸離れた、青山練兵場跡に、明治神宮外苑として造られることになりました。

神社の一部でもあるのにもかかわらず、野球場や相撲場、競技場やプールが造られました。

大正時代に、日本でここにしかない神社施設が出来上がりました。

※番組では、この後、絵画館前の、イチョウ並木のところへ行き。解説者の方の説明を受けましたが、本ブログでは割愛致します。

#05、「驚きの歴史!絵画館」
#05ブラタモリトレース絵画館編05.jpg
タモリ:「さ~、いよいよ絵画館に入りましょう・・・」
久保田アナ:「ここは、よく通るのですが、実は一度も入ったことはありません。」
タモリ:「ここは、意外と皆さん入らないのですよ・・・」

#06、聖徳記念絵画館
#06ブラタモリトレース絵画館編06.jpg
ナレーター:「絵画館、正式には、『聖徳(せいとく)記念絵画館』。国会議事堂にも間違えられる程の重厚な外観。確かに一寸入りにくいかも・・・建物の前には、幅60mの池があります。」

#07、驚きの歴史!絵画館・・・前の池がプールとして使われた
#07ブラタモリトレース絵画館編07.jpg
解説者(※):「戦後、ここがプールになっていたことがありまして。ここに写真があります。」
タモリ:「泳いでいるよ、子供たち!」
解説者:「あふれかえっています」
ナレーター:「この池は、昭和34年から、3年間子供達に開放されました。カッパ天国と名づけられ、3年間で50万人が利用したという、超人気の施設でした。入場料は10円でした。」
タモリ:(写真を見て)「ちょっと、これは如何なものか・・・」
※解説者:國學院大学 藤田大誠(ひろまさ)准教授(現教授)

#08、タモリさん一行は、絵画館へ入場
#08ブラタモリトレース絵画館編08.jpg
ナレーター:「外側は、すべて御影石。重厚な階段を登っていきます。

#09、同上場所(散歩会での実写)
#09ブラタモリトレース絵画館編09.jpg

※撮影時刻11時08分、気温12度(推定)、無風
  絶好の散歩日和でした。
(続く)
nice!(16)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

ダイヤモンド富士・2018年2月6日(火)、北越紀州製紙関東工場(市川市)から撮影 [ダイヤモンド富士]

久しぶりにダイヤモンド富士の撮影に出かけました。情報により、本日(2月6日)は、北越紀州製紙関東工場(市川市)近くの江戸川堤防から狙いました。

#00、ダイヤモンド富士・2018年2月6日17時02分・市川市大洲3-15-18先・江戸川堤防上から
#00ダイヤ北越裏180206_170200_2CASIO.jpg


#01、撮影ポイント
#01ダイヤ北越裏180206_165255_LUMIX.jpg
左手江戸川、右手北越紀州製紙関東工場。
市川市大洲3-15-18先・江戸川堤防上にカメラを設置しました。

#02、撮影ポイント(地図)
#02ダイヤ撮影場所北越製紙側からJPEG.jpg
北越紀州製紙関東工場、南東約100mのところから撮影しました。

#03、撮影方向
#03ダイヤ北越裏180206_165307_LUMIX.jpg
江戸川堤防から、西南西・東京都江戸川区の先に富士山は眺望出来ます。
富士山(太陽)方向の右の塔は、東京スカイツリーです。
気温は7~8℃(推定)、風はほとんど感じられません。

#04撮影ポイント目印
#04ダイヤ北越裏180206_165214_0C.jpg

撮影ポイントを記録しやすいように、「海から11.5km」という標識があるところを選びました。

#05ダイヤモンド富士のプレリュード、ダイヤモンド富士開始の11分前、(=16時50分)
#05ダイヤ北越裏180206_165039_LUMIX.jpg


#06ダイヤモンド富士のプレリュード、ダイヤモンド富士開始の6分前、(=16時55分)
#06ダイヤ北越裏180206_165500_CASIO.jpg


#07ダイヤモンド富士のプレリュード、ダイヤモンド富士開始の2分前、(=16時59分)
#07ダイヤ北越裏180206_165900_CASIO.jpg


#08ダイヤモンド富士開始、(=17時01分)
#08ダイヤ北越裏180206_170100_CASIO.jpg
太陽は富士山の左肩に没っしはじめたようです。

#09ダイヤモンド富士17時02分
#09ダイヤ北越裏180206_170200_1CASIO.jpg
太陽は、3~4割程、富士山山頂に沈みました。
富士山頂のほぼど真ん中に沈んみつつあります。

#10ダイヤモンド富士17時02分
#10ダイヤ北越裏180206_170200_2CASIO.jpg
5割ほど沈みました。太陽は、まさにダイヤの輝きを発しています。

#11ダイヤモンド富士17時03分
#11ダイヤ北越裏180206_170300_0CASIO.jpg
太陽は、6~7割沈みました。地上は、暗くなってきました。

#12ダイヤモンド富士17時03分
#12ダイヤ北越裏180206_170300_2CASIO.jpg
ダイヤモンド富士の終了です。
今日は、富士山の上方に雲があり、撮影が危ぶまれましたが、無事撮影出来ました。

#13ダイヤモンド富士終了2分後(=17時05分)
#13ダイヤ北越裏180206_170500_1CASIO.jpg
富士山の陰(西)に太陽が回りこみ、影富士がうっすらと見えて来ました。
本日は、天気にめぐまれ、最高のダイヤモンド富士が撮影出来ました。
但し、カメラの性能、または、きたろうの技術が未熟なせいか、ハレーションが強く出て写真の仕上がりは今一でした。
END
nice!(14)  コメント(1) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の10件 | -