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きたろう散歩番外編”歌川国芳の浮世絵VS東京スカイツリー(5)(注)” [歌川国芳]

2011/05/06(土)アップ
今まで、国芳の東都三ツ股の図の謎解きを進めるべく現地に行ったり、図書館に行ったりしましたが、改めて見ると、新聞で紹介された時点からひとつも前に進んでいないことに気づかされました。
ふりだしに戻り、今回は国芳の絵を仔細に調べ謎解きを進めることにしました。
    
#01国芳東都三ツ股の図(カラー).jpg
1、どの方向を描いた絵か?(左端の橋は何橋か?)
 国芳の絵の謎の塔の左側に描いてある橋が何橋かと云うのが、この絵がどの方向を描いたかを解く鍵になります。東京新聞は、この橋が何橋かは断定してはいませんが、小名木川に架かる橋と見ています。小名木川に架かる橋は万年橋で、2月22日の東京新聞には、万年橋と小名木川の写真が掲載されていました。 しかしあるブロガー(お水番さん)はこの橋は、上之橋では?という疑問をご自身のブログで投げかけていました。(注1)
 これについて検証しました。この検証には当然地図が必要ですが、三ツ股の図が描かれたのは1831年(天保2年)で、この頃の地図としては「嘉永・慶応江戸切絵図」1862年(文久2年)が有名です。(図#02)しかし、この地図は文字通り絵図であり、正確な縮尺は望むべくも有りません。また、国芳の絵は中洲から隅田川をはさんで対岸の深川方面を描いたものとされていますが、この地図では中洲は描かれていません。 そこで、その後明治20年(1887)に作られた、正確な縮尺の地図「五千分一東京図(陸軍参謀本部)」を使うことにしました。(図#03)
     
#02江戸地図・ブログ用本番(隅田川東岸清澄佐賀町近辺)2.jpg
     
#03実測東京図(明治11年6月)1878年.jpg
    
ア)国芳の絵を詳しく解析し、左の橋が何橋であるかを特定する
 (国芳の絵の拡大図・図#01上でB―Cの長さとC―Dの長さの比率から、左の橋が何橋か特定できないか?) 図#01でB-Cの長さは、橋が架かる川の河口の巾に相当します(注2)、C-Dの長さは、この橋の南詰から永代橋迄の距離に相当します。国芳の絵に描かれた左側の橋の候補の橋は、上流から万年橋(小名木川)、上之橋(仙台堀)、下之橋(油堀川)が挙げれます。この三つの橋に付いて、単純比例計算で各々C-Dの距離を求めますと、万年橋の場合は292m、上之橋の場合は239m、下之橋の場合は212mになりました。実際のC-D間の距離は、万年橋の場合834m、上之橋の場合は489m、下之橋の場合は207mですので、図#01から求めた距離と実際の距離で整合性のあるのは、下之橋ということになります。
    
イ)国芳の絵の左の橋が本当に下之橋か
(ア)の解析を行う時に、下之橋は、中洲より大分南なので、対象外にしようとおもいましたが、解析結果では下之橋が該当することになってしまいました。しかし、直観的に見て、絵の中の左の橋が下之橋でないと言うのはすぐに分かります。もし、中州から下之橋を眺めたら、大分斜めから見ることになり、写真#04の様に見えるはずです。国芳の絵は橋とほぼ直角の方向から眺めた感じなので、この橋は下之橋では無いと言えます。
#04明治時代の納屋橋(参考写真).jpg
     
ウ)国芳の絵の左の橋は、万年橋か上之橋か?
 国芳の絵は、中州から描かれたとされていますが、中洲も結構大きく、上流側は万年橋より約100m上流辺りから、下流側は上之橋の約100m下流辺りまで広がっています。どこから描いたかに付いて、ネット上で大分調べましたが分かりませんでした。 しかし、中洲のどこから描いたか決めないと、この橋が万年橋なのか上之橋なのかも決められないので、描いた場所は、現在、清洲橋が架かっている辺りに該当する部分としました。(図#03で赤丸で示した場所) 中洲の中で、現在清洲橋が架かっている辺りが、江戸時代もやはり中洲の中心的な場所と考えられたからです。
    
<左の橋が万年橋としたら>
もし、左の橋が万年橋としたら、小名木川の河口及び万年橋は図#07のように、小名木川の北岸側が万年橋の下から見通せるはずです。しかしこの絵は、国芳の左の橋の部分を左右反転させたものです。これで、左の橋が、万年橋と云う事は否定的になります。 さらに、左の橋が万年橋としたら図#01のAの部分は、地図#02及び図#06(広重の絵)で分かるように、正木稲荷神社があるはずです。しかし#01(又は#05)のAの部分には正木稲荷らしき描写はほとんどありません。
    
#05国芳東都三ツ股の図・超拡大.jpg
    
#06新大橋と萬年橋(ブログ雪の萬年橋).jpg
    
#07もし左の橋が万年橋としたら・・・.jpg
    
<左の橋が上之橋としたら>
 中洲の、丸印を付けた所から上之橋を見たとしたら、橋の北西側から斜めに見ることになるので、仙台掘の南岸見通せるはずです。図#05はこの様になっていて矛盾がありません。また、積極的にこの橋が上之橋であるという証拠がないかどうか、ネット上でやはりずいぶん探しましたが、同時代に上之橋を描いた画像は見つかりませんでした。
    
 しかし時代は違いますが、手持ちの資料で明治に描かれた上之橋の絵がありました。(#08)
#08井上安治・深川仙台堀(上之橋)A.jpg
これは、井上安治が遅くとも1889年迄には描いた「深川仙台掘」という絵です。この橋の歴史を調べると、昭和5年(1930)まで木製の橋であったことがわかっています。この絵は、国芳とは反対側の仙台掘から描いており、また国芳が描いたときから約60年経過していますが、橋の形はそっくりです。
    
これらのことから、国芳の絵の左の橋は、上之橋とかなりの確率で言えると思います。
と言うことは、謎の塔がある方向は、南東の方向ということになります。中洲の対岸の南東方向には霊雲院、久世大和守の屋敷、霊巌寺、牧野備前守の屋敷などお寺や武家屋敷があります。現在だと清澄庭園のある方向ということになります。
 東京新聞では、現在東京スカイツリーと同方向に、謎の塔があるとしていますが、きたろうの解析では、全く方向が違うと結論づけられました。
    
2、国芳の絵の謎の塔は何か?
次に図#09の国芳の絵の拡大図で、火の見櫓と謎の塔の高さを、河口巾から比例計算で求めてみました。
#09火の見櫓と謎の塔の高さの推定.jpg
 国芳の左の橋は、上之橋でほぼ間違いないと言う事が分かったので、国芳の絵でB-C間は36mと云う事になります(図#01、#09)。火の見櫓と謎の塔を比例計算で求めると、各々43m、97mという、ありえない高さになりました。
 お水番さんによると、江戸の火の見櫓の高さは9m程とのこと。と言うことは、4.78倍も実際の高さより高く描かれていることになります。この比率で、謎の塔も描かれているとすると、謎の塔の高さは20mということになります。
    
 ただ、今ここで謎の塔としましたが、実はネット上では結論が出ていて、既に発表されていました。それは、きたろうは見逃していましたが『iZa イザβ版、ブログで楽しむニュースサイト(2011/03/05 00:26)・・・「180年前の江戸に「スカイツリー」』(注3)で発表されていました。
<#10>
    
#10(180年前の井戸掘りの櫓).jpg
 2月22日の東京新聞の記事でコメントを寄せた洋画家の悳 俊彦(いさお としひこ)氏(75)はその著書の中で国芳が描いた井戸掘り櫓の浮世絵「子供遊金生水之掘抜」を掲載しています。この絵に出てくる櫓は、東都三ツ股の図の謎の塔とそっくりの形をしています。子供遊金生水之掘抜の櫓の高さは、大人の背丈の約6倍の高さなので9mと言う事になります。高さは、掘る場所によって加減されたと思われます。
    
 この形から言って、東都三ツ股の謎の塔は、井戸掘りの櫓でほぼ間違いないと思われました以上、国芳の謎の絵を、理詰めで解析すると上記の結論になります。しかし、ここまでやっても、ヤッターという爽快感はありません。
    
 だまし絵の大家の絵なので、この火の見櫓と井戸掘りの櫓の高さを異常に高く描いたというのがだましなのでしょうか?それだけではなく、何か、まだ、だましの要素が仕込まれているのではと思ってしまいます。そう思うと、上空に描かれた雲の形と云い、色と言い、何か悪いことでも起きそうな、または、UFOでも出て来そうな雰囲気で、すべて怪しく見えてきます・・・
    
本文END
    
注1)so-neのお水番さんのブログ(2011/3/2)3.中間まとめ~歌川国芳「東都三ツ股の図」に描かれたスカイツリーみたいな謎の尖塔を追う
注2)河口巾は川幅とは異なります。図#03の凡例を参照してください。
注3)iZa イザβ版、ブログで楽しむニュースサイト(2011/03/05 00:26)
END

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